“スポーツにはケガがつきもの”だからいい?

 組体操による事故がツイッター上をにぎわせ始めたころ、こうしたリスクを理解した保護者が「組体操のピラミッドやタワーはこういうふうに危険だ」と学校に訴えても、組体操を教育的に有効だと勧める層は「いやいや、団結力が育つから」とか「他のことでもケガはしますよ」などと言ったりしていました。

 あるいは「分かりました。もう少し安全対策をきちんとします」と一旦は回答する。ところが対策としてはピラミッドの段数を減らすのが最大の安全対策なんですが、そうではなくて「先生の監視を増やします」という対応で終わってしまうこともありました。なかなか巨大な組体操そのものの縮小にはつながらず、門前払いに近い形だったという相談を受けたことも多々あります。

 でも、「スポーツにはケガがつきもの」だからという考え方自体を改めるべきなのです。高いリスクは減らす努力をする。それがリスクに対する考え方であるべきです。

 もちろんリスクをゼロにしようということではありません。例えば、今皆さんがいる場所でも、いつ隕石が落ちてくるかは分かりませんし、いつビルが崩壊するかは分からないわけです。そういうリスクはゼロにはできません。

 でも、高いリスクは減らす努力はしたほうがいい。つまり巨大な組体操は見るからに危険ですし、実際にケガをする事例もたくさん起きている。このリスクは減らすべきですよねという提案に対し、「ケガはつきもの」という全く思考停止状態の返答をしていてはいけないわけです。

 こうした「つきもの論」は、組体操などスポーツ事故だけでなく、教育の現場では特によく出てくるのではないでしょうか。

 でも、「つきもの論」を掲げる限り、問題は解決に向かいませんよね。

※写真はイメージです
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