これは、わたしがときどき替え歌とかお話の中で、「かあかはまるで、きみに会うために生まれてきたみたい~」みたいなことを言っていて、その受け売りではあるのだろうれど、かつて「わたしの為に生まれてきたんじゃないなら」という痛寒いタイトルの曲を作ったこともあるわたしは、生きているうちに、誰かに、こんなふうな言葉をかけてもらえるなんて思ってもおらず、気がつけば涙が溢れていて──ごく控えめに言って、感動して泣いてしまったのである……。

「愛し合っている」この瞬間を、覚えておく

 息子にとってわたしも母親であると同時にれっきとした他人であり、必要以上の結びつきは将来あまり良いように機能しないのではないかと恐れているところもあるので気をつけているところもあるのだけれど、しかし不意にかけられたその言葉に、もちろん言葉の意味なんてわかっていない無邪気なやりとりではあるのだけれど、でも、ああ、わたしたちは少なくともこの瞬間、そしてうまくいけば数年の間は、愛し合っている、と言ってもいい関係なのだなと、心から実感できたのだった。

 我々は、少なくとも今、おそらくは同じ強さでお互いを思っていて、他の誰とも違う関係で結びついている。これはすごいことではないだろうか。この先何が起きるかわからないけれど、でも、そう思ったことを覚えておこう。将来、音信不通になっても、関係が劇悪になっても、ウザがられても何されても、この思いはわたしのもの。ひとりで、ひっそり思いだせるように、大事に胸にしまっておこう……なんて思いながら、涙をシャワーで流したのだった。ああ、いつか息子と一緒にフレシネを飲んであれこれ話せる日が待ち遠しい。今日もフレシネを飲んで、そんなことを考えた。

最近人気のあるハシビロコウ……そこはかとなく漂う緊張感、この視線、この距離感を参考にして、これからも息子と生きていきたいです…
最近人気のあるハシビロコウ……そこはかとなく漂う緊張感、この視線、この距離感を参考にして、これからも息子と生きていきたいです…

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