小さい手で一生懸命、わたしの背中を触ってくれる

 思いがけない「親孝行」というか、社会的な発想と振る舞いに戸惑って、えええ、そんなんええよええよ、となぜか必要以上に恐縮してしまったのだけれど、息子は泡状のせっけんをこんもり手にとって、背中をなでなで、一生懸命に広げてくれる。

 「こんなん悪いわあ~でも、すっごい気持ちいいわあ、ほんまにありがとう」なんてドキドキしながら声をかけつつ、こういう成長に触れるときにはやっぱり息子が赤ちゃんだった時のことを思いだしてしまう。眠って起きて、泣いて、おっぱいを飲むだけだった生まれたての日々。沐浴時代。はいはいと寝返り。初めてわたしを「かあか」と呼んだときのこと。物を持って、えいっと投げたときの感動。その何にもできなかった本当に小さかったあの手で今、わたしの背中を──音もなく脂肪が降り積もって今となっては空母みたいになったわたしの背中を触ってくれているんだなーと思うと。なんとも言えない気持ちになるのだった。

 そういう、胸がじいんと鳴るようなシチュエーションに割と弱いところがあるので「ありがとうねありがとうね」と切り上げる方向にもっていこうとどぎまぎしていたら「いいんだよ、だってぼくは、かあかのために、生まれてきたんだから」と言うので、「!」となった。

 「い、今、なんて……」「だから、ぼくはかあかのために生まれてきたんだから」「ど、どこでそんな言葉を……」。