待機児童を経験 心の消化不良の矛先が夫に
前回、「細川モモ 保活説明会に500回コール、異常さに涙」でお伝えしたように、想像を超える厳しい保活を体験した私。3月3日、娘の初めての桃の節句の夜には、娘が待機児童になることが決定しました。
深刻な社会問題だと分かってはいたけれど、「まさかうちが……」と本音が溢れました。子どもが生まれる前からも待機児童への問題認識はあったけれど、実際にわが身に降りかかってきたときの衝撃といったら、やはりまるで違います。まるで外国でパスポートをなくして、いつ再発行してもらえるのかの見通しが全く立たずに立ち尽くしている状態。復帰時期に向けて予定を立てていた仕事の数々は大番狂わせで、周囲に少なからず迷惑がかかることへの申し訳なさ、困惑、不安、憂鬱、悲観……様々な感情に襲われます。
娘が生後3カ月になってから徐々に仕事復帰していて、今は打ち合わせに同席させてもおとなしくしていてくれますが、歩き始めたらそうはいきません。来春、1歳での保育園入園を目指すなら入園時点で娘は1歳4カ月。目が離せない時期です。
私が日中も家で子どもを見続けることになるなら、仕事はセーブするしかありません。あぁ、あのお話も、このお話も断らなくてはいけない……。そして、復帰を待って仕事を分担してくれているスタッフたちの負担はどうなるのだろう。グルグルと先の見えない不安とやりたい仕事ができなくなる絶望が渦巻き、窒息しそうでした。
子どもが待機児童になると、正体の分からない、生まれて初めて抱く感情の洪水を誰にぶつければよいのかが分からず、それが最大のストレスなのです。“社会”というあまりに広範囲なものを相手に、私は気持ちを持て余すことしかなすすべはありません。
私の場合、消化不良を起こした思いの矛先は夫に向いてしまいました。