10代・20代で両親が末期がん患者になった経験から予防医療に関心を持ち、以後7年間サンフランシスコやニューヨークの大学・学会等で学んだ細川モモさん。2009年から企業・官公庁等ともコラボレートした女性の健康や美を啓発する活動を続け、特に、先進国の中でも日本が深刻な状況に陥っている低出生体重児と不妊症の予防に力を入れています。夫婦両母親が他界している環境で、夫は1カ月の育休、起業家である自身も約3カ月の育休を取り、新たな家族の生活の形を日々更新。忙しい共働き生活の中での子育ての喜怒哀楽、家族との時間、日々の食卓(おうちごはん)について等身大の日常をつづります。

* 本連載の最後のページには、細川モモさんが産後ママにおすすめする“おうちごはん”メニューがあります。普段の食卓にぜひご活用ください。

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★細川モモさんのおうちごはん
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待機児童を経験 心の消化不良の矛先が夫に

 前回、「細川モモ 保活説明会に500回コール、異常さに涙」でお伝えしたように、想像を超える厳しい保活を体験した私。3月3日、娘の初めての桃の節句の夜には、娘が待機児童になることが決定しました。

 深刻な社会問題だと分かってはいたけれど、「まさかうちが……」と本音が溢れました。子どもが生まれる前からも待機児童への問題認識はあったけれど、実際にわが身に降りかかってきたときの衝撃といったら、やはりまるで違います。まるで外国でパスポートをなくして、いつ再発行してもらえるのかの見通しが全く立たずに立ち尽くしている状態。復帰時期に向けて予定を立てていた仕事の数々は大番狂わせで、周囲に少なからず迷惑がかかることへの申し訳なさ、困惑、不安、憂鬱、悲観……様々な感情に襲われます。

 娘が生後3カ月になってから徐々に仕事復帰していて、今は打ち合わせに同席させてもおとなしくしていてくれますが、歩き始めたらそうはいきません。来春、1歳での保育園入園を目指すなら入園時点で娘は1歳4カ月。目が離せない時期です。

 私が日中も家で子どもを見続けることになるなら、仕事はセーブするしかありません。あぁ、あのお話も、このお話も断らなくてはいけない……。そして、復帰を待って仕事を分担してくれているスタッフたちの負担はどうなるのだろう。グルグルと先の見えない不安とやりたい仕事ができなくなる絶望が渦巻き、窒息しそうでした。

 子どもが待機児童になると、正体の分からない、生まれて初めて抱く感情の洪水を誰にぶつければよいのかが分からず、それが最大のストレスなのです。“社会”というあまりに広範囲なものを相手に、私は気持ちを持て余すことしかなすすべはありません。

 私の場合、消化不良を起こした思いの矛先は夫に向いてしまいました。