3歳で音楽教室に。中学受験との両立に苦悩も
日経DUAL編集部 三浦さんは英国の王立音楽院を首席で卒業し、海外のコンクールでも多数受賞されるなど国内外で素晴らしい活躍をされています。もともとはどのようなご家庭で育てられたのでしょうか。
三浦友理枝さん(以下、敬称略) 実家は東京都内の一軒家で、父は会社員、母は専業主婦という、当時としてはごく一般的な家庭で育った一人っ子でした。親族にも音楽家や芸術をなりわいにする人は特にいなかったのですが、父がクラシック音楽のレコード愛好家で、女の子にはピアノを習わせたいと考えていたそうです。そして私が3歳のとき、近所のヤマハ音楽教室に通うことになりました。
最初はマンツーマンではなく、グループで歌を歌ったり、リズムに合わせて手をたたいたりといったレッスンから始めました。人見知りだった私には、これがとても合っていて、先生も優しかったので、すごく楽しかったんです。みんなで音楽に親しむというところから入ったことによって、「音楽って楽しいんだ!」という大前提が私に刷りこまれたんですね。これがすべての始まりなので、最初の音楽体験がどんなものかは、子どもにとって非常に大きいと思います。
その後はいきなりピアノではなく、エレクトーンから弾き始めるのですが、幼児だと普通は片手弾きです。でも私はとても熱心だということで、先生が両手で弾かせてくれたんです。発表会でも私だけ両手弾きをさせてくれて、それがとてもうれしかったという原体験がありますね。
―― やっぱりそのころから周りのお子さんとは才能が違ったということですね。
三浦 どうでしょうか。楽しかったので、一生懸命やっていたということはあると思います。
当時は、ある段階までいくと生徒の一部は少人数の選抜クラスに進むシステムになっていました。私も幼児科からスタートして、5歳のときに最初の選抜テストがありました。その後、小学2、3年生あたりで次のテストがあり、小学5、6年生で最終テストがあります。このクラスは、本気でプロのピアニストを目指す、というレベルです。
しかし、小学6年生当時の私は中学受験を目前にしていて、小学4年生から始めた学習塾にも週5くらいのペースで通っていました。ピアノは好きでしたが、将来プロになりたいかと言われると、そこまでは考えていなかったというのが正直なところでした。両親もそれくらいの認識だったので、最終選抜のときの面接で、「ここは本気でピアニストを目指す子が入るコースです」と言われて、両親と一緒に「えっ」と戸惑った記憶があります(笑)。
そんな状態なので、ピアノだけに時間を割くというのは不可能でした。「受験が終わったら本格的に頑張ります」とアピールして、特例で小学生のうちは練習や課題は控えめでお願いできることになりました。
でも塾の先生も「ピアノなんかやってないで勉強しろ!」というわけです。私、そこだけは絶対譲れないと思って、たとえ30分でもピアノの練習は毎日やっていました。ピアニストを目指すのなら話にならないくらい少ない練習時間ですが、そこは意地でしたね。