暴力や暴言、価値観の押し付け、きょうだい差別・・・読者の体験

暴力・暴言を浴びせられて育った

・毎日「あなたの顔っておへちゃだよね」「あなたってイモだね」「あなたといても面白くない」などなど、ひどいことを言われ続けました。親曰く「将来誰かに言われても傷つかないようにしてあげてるの」とのこと。おそらく、「いじり」程度の感覚だったのだと思いますが、ひどい。(中略)一番嫌だったのは、私の失敗や腹の立ったことを、私のいるところで親戚に相談することでした。

・幼少の頃、母からの暴力や暴言をほぼ毎日受けている時期があった。(特にひどかったのが小学校3~4年生の頃)。誰かが私の悪口を言っているなどと、不安にさせるようなことをよく言われた。学校でいじめにあっていることを母に話したら、顔を殴られたりして痣がひどく学校でさらにいじめられた。病気で休んだのに、学校に提出する書類に「欠席理由:ずる休み」と書かれた。仲が良かった友人の自宅に電話し「うちの子ともう関わらないでくれ」と言われた。病気で病院に連れて行ってもらった時に「あんたのせいでまた金がかかる」と言われた。

あんたには友達はできないと言われた。勤めている会社もよくあんたを選んだな、おかしいんじゃないかと言われた。結婚した時は、どうせ捨てられると言われた。これら全部を問いただしたら被害妄想だと言われた。

・父親は理由もなく暴力を振るう。理不尽なことも力ずくで従わせるのが父親の威厳と思っていたようです。母親はいつもヒステリックにわめき散らし、「私はなんでもわかっているんだ! お前は私の言うことを聞いていればいいんだ!」と、様々なことを禁止され、「お前は家の手伝いと勉強だけやっていればいいんだ!」「お前みたいなやつは社会に出たら通用しない!」と言われ続けました。(中略)ある日、「お前がいるから離婚もできない!」と責められ、このひどい生活は私のせいなんだとショックを受けました。社会にも通用しない人間だと思っていたので、死ぬことばかり考えていました。

夫婦喧嘩の時に子供に暴言を吐いたり暴力を振るったりしたこと。私自身の存在が「おまけ(出来たから)」と小学生の時に言われたこと。悪い事をすると真っ暗な蔵に閉じ込められたこと。物やお金がなくなると私が疑われたこと。成績が常に首位でも褒められたことがないこと。など沢山あり過ぎて書ききれません。

価値観の押し付け・過度な口出し

・母親の価値観の押しつけ(結婚相手は長男はダメ、バリバリ働くキャリアウーマンになってほしい)など

・低学歴の友達と遊ぶと怒られた。30を超えた今でも、ママ友について口出しされる。

・専業主婦の母親が、子どもの出来を周囲と競う気質がありました。成績優秀者として掲示されることにハッパかけたり、勉強だけでなく、楽器もスポーツも「1番になれ」「誰々ちゃんに負けるな」とお尻を叩かれて育ちました。きっと「優秀な娘」と周囲から褒められるのが嬉しかったのでしょう。

母の過干渉が強く、進学、就職、結婚から子育てに至るまであらゆることを「あなたのため」と言われる。母の意見に従わないと人格否定的な言葉を言われる。父はほとんど介入せず、相談しても「お前が我慢しろ」「お母さんも大変なんだからうまくやってくれ」との反応だった。

親の意見は100%で違う意見を言うと批判され、こっちがイエスと言うまで言い続ける。将来の夢を言っても否定され、公務員がいいと言われる。感情的に怒られる。

・子どもの意思を少しも考慮しないこと。一例としては茹でただけのパセリを「美味しい」と出してきて「不味い」などと言うのは許されなかった。合成洗剤反対、という理由で他の子が白い靴下を履いていてもいつも黄色い靴下で嫌だと言っても認めてくれたことはなく、生活すべてが無茶苦茶だったので大学で家族と離れようと遠方の大学に行きました。

・小さい頃から「大学に行かないやつは人間じゃない」「あの子の家は片親だから遊んじゃ駄目」など両親(特に母親)の価値観を押し付けられ育ちました。家が汚れるから友達を自宅に呼んではいけない、など大人にとって都合の良いルールを強要されることも多かったです。子どもにとって親の言うことは一種の洗脳なので反発しながらも母に言われた言葉の影響力は大きく、おかしいと気付いたのは大学に入学してからでした。また、就職してからは「これまで育ててやった恩を返せ」とばかりにボーナスの度に高級レストランでの食事や旅行、プレゼントをねだってきます。

・母親の言うことが絶対だった。意に反することをして失敗した時は、お母さんの言うことを聞かないから、と言われた。意見に背くと機嫌が悪くなるのを見て、いつしか顔色をうかがってものを言うようになった。

・全て母の話です。志望校などの進路は私の意見を尊重したいと言いつつも、幼い頃から「○○高校はどう?」「お医者さんになるのはどう?」「安定した職業につきなさい」と言われ続けてきた。高校生になると、友人との電話の会話をコードレスの子機から盗み聞きされたり、異性との交際についてよく口出しされるようになり、プライバシーが侵害されていると感じた。過干渉なところがある。心配性すぎて、こちらからお願いする前に先回りして何でもかんでもしようとする。いつも頼んだ以上のことまでやろうとする。

・度を越した教育パパだった。高校生まで勉強のスケジュールを管理され、ながら勉強をするからとラジカセやCDを取り上げられた。兄弟の中で唯一東大に入れず、「お前の時は失敗した」といわれ続けた。

・全て親の敷いたレール以外を歩むことは許されなかった。一度も自分の味方になってくれない。例えば学校でトラブルがあって誰が見ても私が被害者の場合でも、母親だけはあんたが悪いと言って一度も寄り添ってくれたことはない。うまくいった時も当然だと言って一度も一緒に喜んでくれたことはない。

両親が不仲だった

夫婦仲が悪く、互いの悪口を子どもに言う。特に母は、他人の悪口や不平不満を常に口にして、子どもに自分の価値観を押しつける人だった。

・母が父との不仲、姑とのいざこざを全て幼い子供である私に毎回愚痴ってきていた。母本人は自分は気が弱いということで本人たちの前ではものわかりのいい顔をして、溜まったストレスを子供で発散していた。私は母が助けを自分に求めているのだと思い、助けられない自分が苦しく、また責められているように感じた。また、父と祖母を憎まなければいけないように感じ、しかし心から憎むこともできず、辛かった。母の二面性を自分だけが知っていることも怖かった。母からすればささいなことだったと思う。

・父が母を侮辱する言葉を何度も聞かされたことで母を私が守らなければと思ったこと。それなのに母が不倫まがいなことをしていたと母から聞かされたこと。

ワーカホリックな父と、父への不満を湯水のごとく子に浴びせて自分を保つ母。

親が依存してくる

母に対しては、その存在を大切に扱ってあげないと、機嫌が悪くなり自分はいなくていい存在だ、などと被害者ぶるといった、依存型の人であると感じる。また、お金にルーズで、収入に見合った生活をしない、兄弟や父親にお金を出させたりする。

きょうだいと比較された、差別された

・弟を年下だから、男子だからという理由で?贔屓した。自分の感情のはけ口にしており、私の存在を否定したり、家族の中で仲間外れにしたり、のけ者にしたり、数々の意地悪をされた。学校から帰ってくるタイミングで外出して家に入れずずっと外で待っていたこともあった。私は身の回りの世話はしてもらえなかったが世間体はうまく取り繕っていたので今でも優しそうなお母さんと言われる。私のお気に入りのおもちゃを破壊したり捨てたり大学授業料の振込用紙を破ったりもした。

・跡継ぎである兄と扱いが違うと感じた(兄より優秀であってはならない、という暗黙の押し付け)。そのわりに、物理的、心理的ケア(親の)は全て私に降りかかってきた。

親の育児放棄

母親が、自分でできるようになったくらいから(12歳くらい?)育児を放棄することが多々あった。ご飯は、自分で作るようにする、学校関係で親が必要な場面では、いやいや参加、18になったら、全部自分のことは自分でするように言われ続ける。両親が別居していて、母しかいなかったが、週末は当時付き合っていた人のところへ泊まりに行っていた。

・今でいうネグレクトの時期があった。父が単身赴任で不在の時期、母が毎晩のように夜出かけていき、朝方に帰ってくるという生活だった(仕事ではなく、友人と遊んでいた)。

 上記の経験を踏まえ「両親との関係が、自分の生き方・性格などに、マイナスの影響をもたらしたと感じることはありますか」と聞いた質問では、「自分に自信が持てない」「人の優しさを素直に受け取れない」「人の顔色を見て生きるようになった」「結婚や子育てが怖かった」などの回答が目立った。