もし地震が来たら、よその子を守りきれないかも

 「ええ!?親友同士で念書?あんた突き詰めてんなあ」と驚いたのだけれど「ちゃうちゃう、べつに頼んだわけじゃなくて、書いて持ってきてくれてん。全身全霊であんたの赤ちゃんは大切に預かるけれど、うちにはあと二人子どもがおるから、万が一、直下型地震が来てものすごい状況になってしまったとき、最善は尽くすけれど、でもやっぱりわたしは反射的に自分の子どもの命を優先してしまうやろう。最善は尽くす、でも、どうなるかはわからへん。それは言うとかなあかんと思って、それでよかったら預かるって話してん。そしたら、一筆書いてもってきてくれてん」。

 た、たしかに……地震はいきなりやってくるものだ。自分がどれだけのことができるか、そのときになってみないとわからない。

最初それを聞いたとき「えー」とびっくりしたけれど、この話をべつの友人に話したら「……うん、逆にその人、すごい信頼できると思う」という感想を持ったようだった。5歳児なら一緒に遊ばせる、という感覚もあるけれど、赤ん坊の場合はとくに、「命をそのまま預かる」という感じがやっぱりするしね……そんなわけで、最初はじゃっかん引いてしまったわたしも、たしかにこれはきれいごとでない、自分を過信しない、じつに彼女らしい誠実さであるなと感じ方が変わったけれど、しかし預かるのに念書の覚悟が必要となれば、なかなかどうして難しいのもまた事実……。

 みなさんはどう思われますか。そして、社会で子どもを育てるって、実際問題、何がどうなることだと思う?

「温かく見守る」以上に、何がどうなることなんだろうね。まずは基本的なマナーは守ったうえで、それでも親から反射的に飛びだす「すみません」がなくなることだとは思うんだけれども。今日もフレシネを飲んで、そんなことを考えた。

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