大学が真剣に育てたい学生は5%?

 そもそも我々は、何のために勉強しているのでしょうか。一流大学の学生になるためですか? いいでしょう、その大学の学生になれたとします。でも、多くの学生は「入学する」ことに精一杯で、何を学びたいか、何を研究したいかの肝心な部分が抜けたままで入学してしまいます。

 大学とは、専門家の話を聞きに行く場所です。専門家が語る専門性の高い話を聞き、専門書を読み、理解し、リポートにまとめられなければ大学での学びは成立しません。ある大学の教授は「真剣に学ぼうとしている学生は5%」と言い切りました。言い換えれば、大学が真剣に育てている学生も5%ということです。あとは、学費を払うだけの存在ということなのでしょうか。

 そんな「一流大学卒」が社会にでたらどうなりますか? 使えないエリート? 会社に言われたことを愚直にこなす社畜? ある人は、「おれ、ゴルフ場で『ナーイスショット!』と叫ぶの上手なんだよね」と自慢していました(笑)。それでよいのでしょうか。

目標は「〇〇中学」ではなく「アタマをよくする」こと

 教育の究極の目的は「アタマのいい子」を育てること、と言っていいでしょう。

 でもそれは、偏差値や一流大学卒とイコールではありません。どんな大学に入学するかはとても大事なことですが、先に「〇〇大学」を目標に置いてしまうと、〇〇高校、〇〇中学と逆算式に受験がスタートしてしまいます。そして「〇〇塾に入れなくちゃ!」という、受験産業のつくった流れに無自覚に巻き込まれてしまうのです。

 子ども時代は、最大限アタマをよくすることを考えてください。その子の持つ力をどんどん伸ばしていくのです。その先には必ずよい結果がついてきます。でも、多くの親は「そんな悠長なことを考えてはいられない」と拒絶します。先に目的地を決めて段取りするほうが、安心だからです。その安心感が欲しいがゆえに、子ども時代にしか得られないものを失うのは、あまりにもったいない話です。