ヒアルロン酸や脂肪を外からどれだけ入れたとしても、土台の筋肉がだるだるとさがってくるわけだから、顔面上の雪崩を起こすのは必至というか、対処療法的な満足はあっても、長く頼ることは、おそらくできない。もちろんビタミンや良質のたんぱく質を摂ることも大切だけれど、身体も顔も筋肉の底支えがあってのことだから、やっぱりそこを鍛えるのは必須なのかも。そう、いくらエステで痩身マッサージをしても内側からのハリは出ないように、とにかく筋トレが必要なのだ。ああ、顔面も、お腹や太ももと同じ体の一部なのだなあ……。

若くあることだけが「健やかさ」なの? なんて考える40歳

 でも、こういう変化にたいする意識だって、ある種の惰性でもあるんだよね。若さは可能性そのものだから魅力的であるのは理解できるけど、いつまでそれにかかわればいいのだろうという疑問もある。もういいではないか、適当で。みたいな気持ちも確実にある。若くあるとか、手入れをするということがいったいどういうことなのか、それが「健やかさ」とどれくらい同じでどれくらい違うのか、本当にそれが必要なのか、そういうことも合わせて考えるのも、この年齢ならではなのかもしれない。

 ああ、女性であるだけで小さな頃から自分で気づくよりもさきに他人からの美醜や価値を問われ、長い時間をかけて、個人的にはようやく他人のそういう勝手な評価に致命的なダメージを負わずに済むところまできた。残るは自分自身の目であるけれど、希望としては「ほうれい線」も「顔なが現象」も、ついでに留まるところを知らない体重増加も、そんなのものどうだっていいわと思えるあんばいにまで早くなりたいな、とわたしは心から思っている。

 ってしかし、こういうのを気にしていられるうちが華で、体調の変化とかそういうせっぱ詰まった問題がこれからごろごろ出てくるんだろうなあ……。だったらいつか勝手に終わりがくるものとして、いずれ振り返る中年の懐かしさの一場面として、できるうちは適当に付き合っていけばいいのかなーとも思う40歳、フレシネが沁みる春なのだった。

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