昨年、ボブ・ディランがノーベル文学賞に輝いたニュースは世界中に驚きをもって迎えられました。フォークソングに興味を持った人も増えたに違いなく、「これを機にディランや日本のフォークをほとんど知らない息子たち(24歳、18歳)に、何とかその良さ、スピリットを知ってもらいたい」と考える父・小栗雅裕さん。今回はフォークソングがテーマです。

 ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』を聞いたとき、頭をハンマーでガーンと殴られたような衝撃があった

 聞いていても全然心地よくない。胸がざわざわするばかりで苦しかった。でもすごくいい!と叫んでいた。

 すべてを捨てて、旅に出ようと思った。星空が天蓋だ、草のベッドで寝るんだとうそぶいていた。若いときに出合った歌は、そんな破天荒な夢見る力を与えてくれるものなのだ。実際には時折オートバイにテントを積んでささやかな旅に出るのが楽しみなオヤジになり果てたが、相変わらず部屋でも車の中でもボブ・ディランが鳴っている。

 そんなディラン信者だから、ノーベル文学賞なんて少しも驚かなかった。そもそも小説家が現れるよりずっとずっと以前から、吟遊詩人は歌っていたのだから。小説より先に歌があったのだ。

まさに青春の歌だったフォーク

 高校時代の下宿先には、たいていの部屋にギターがあった。2~3人集まれば、誰かが弾いてみんなで歌った。よく歌ったのは、岡林信康、高田渡、五つの赤い風船、吉田拓郎、井上陽水、ガロ、荒井由実、かぐや姫、加川良、遠藤賢司……名前を挙げるだけで懐かしさがこみ上げてくる。かぐや姫の『神田川』の歌詞と同じ三畳一間の下宿部屋に集まっていた仲間の顔が思い浮かぶ

 フォークって何なのという息子の質問には、自分で作って自分で歌うってことだよ、と答える。じゃ、J-POPと何が違うのって言われれば、違わないと思うよ、と言う。ただ、それを最初に始めたのがフォークの人たちだったのさ、と。

 では、誰を、どんな歌を息子に聞いてもらいたいかと考えたとき、真っ先に三上寛の顔が思い浮かんだ。大学で上京して住んだ中央線沿線にはライブスポットが集中していた。高石ともやや高田渡のライブによく行った。気軽に聴ける雰囲気があった。でも、三上寛は、違った。いわゆるフォークじゃなかったのだ。

 フォークだけどフォークじゃない。先に書いたこととは矛盾するけど、J-POPとは一線を画す歌だ。吉野家の牛丼を歌にし、ナナハンのオートバイの失恋を歌い上げる三上寛を、ぜひ生で体験してほしいと思ったのだ。

泣けるときには泣くもんだって、教えることも大事なことじゃないかな。三上寛さんの歌に驚く息子と泣く父(筆/漫画家・小栗千隼)
泣けるときには泣くもんだって、教えることも大事なことじゃないかな。三上寛さんの歌に驚く息子と泣く父(筆/漫画家・小栗千隼)