まもなく東日本大震災から6年。創業120年を超える福島市・飯坂温泉の旅館「なかむらや」は、震災で建物に大きな打撃を受けました。取り壊すしかないと言われ、廃業も覚悟した女将の高橋武子さん(72)。避難してきた人たちにお風呂を開放しつつ進退を探り、お客さんの激励に奮い立ちました。今回は、女将さんの思いに応え、復旧に力を尽くした大工と建築家のお二人のお話と、なかむらやの今を紹介します。

<前編はこちら> 震災から立ち上がった老舗温泉旅館の女将

震災後「ヘルメットをかぶり、坂を下りてきた2人の姿が頼もしく」

三浦藤夫さんとストックしてあるケヤキ
三浦藤夫さんとストックしてあるケヤキ

 3月11日の震災から数日後。福島市の老舗旅館・なかむらやも、ダメージを受けていました。建物のゆがみや壁の亀裂など見える範囲だけでも、かなりの修理が必要。地元の大工・三浦藤夫さん(70)と一級建築士の鈴木勇人さん(44)は、調査のためなかむらやにやってきました。

 「ヘルメットをかぶり、坂を下りてきた2人の姿が頼もしくて、鮮烈に覚えています」と女将さんは振り返ります。

 市内で「三浦工匠店」を営む三浦さんは、16歳のときにこの道に入り、様々な修業を経て55年。20歳から、働きながら夜間の高校に通う生活も楽しかったそうです。建築士の資格を取り、26歳で独立。一般の住宅を手がけていた1980年代、東京で文化財の解体や修理を学ぶセミナーが始まり、初回から参加していました。「上を目指そうと思って。うんと勉強になりました」

 毎月、東京で講演を聞いて勉強するほか、全国の現場へ。京都で改修を見学した寺は、千年以上の歴史。ざっくり組んだほうが地震のとき壊れないといった工夫を教えてもらいました。こうして20年近く、文化財の勉強をしました。材木屋から、「素晴らしい土蔵がある」となかむらやを紹介され、仲間と一緒に泊まったことも。震災前、飯坂にある江戸時代から続く豪農の「旧堀切邸」整備に携わりました。

震災後、なかむらやや古民家などの修理に奔走

 震災が起きたとき、三浦さんは車で移動中。すぐに自分が手がけた住宅を見に行きました。瓦が落ちた家が多かったので、翌日から修理に大忙し。ガソリンがなくなったら行きつけのお店でわけてもらい、現場に出向く職人に渡しました。屋根にかけるブルーシートもなくなってしまいました。

 そうした状況の中、なかむらやを訪ねた三浦さんと鈴木さん。壁のひび割れやゆがみなど建物の被害をチェックし、構造的には問題ないかと帰りかけたとき。ふと「小屋組みはどうなっているんでしょうね」と本館「江戸館」の天井裏に入りました。2階と3階の間にある大きな梁が5、6本、折れていて三浦さんは真っ青に。天井がべこっと下がり、2階がつぶれそう。1本、約4メートルの大梁。「おそらく江戸時代からそのままの梁ですよ」(三浦さん)

 その後、三浦さんが「江戸館を取り壊して、建て直すと10億円かかる」と話すと、女将さんの顔色が変わりました。