起業するまでの経緯や仕事と家庭の両立についてなど、多くの壁を乗り越えてきたママ起業家や社長にインタビューする「私が壁を乗り越えたとき」。第7回は、スペースシェアビジネスを起業した軒先株式会社代表取締役の西浦明子さんを紹介します。

 西浦さんは、ソニーや政府開発援助(ODA)関連の仕事で活躍後、起業。2008年に、使っていない僅かなスペースを貸したい人と借りたい人をインターネットでマッチングさせるビジネスを立ち上げました。現在は、子育てをしながら、空きスペースの件数2500以上の『軒先ビジネス』とシェア型パーキングサービス『軒先パーキング』などを運営する会社を経営しています。

 この連載は今回から「上編」「下編」の2本立てでお伝えします。

将来の夢は小説家。ファンタジーが好きだった小学生時代

 父親はサラリーマン、母親は専業主婦、という家庭の長女として育った西浦さん。両親ともに教育熱心で、小学生時代の将来の夢は、小説家や絵本作家だったそう。

 「親に対してはいい子でいたい、という典型的な長女タイプ。でも、性格は内面的で自分から積極的に人に声をかけることは不得意。今もそうなのですが、ファンタジーの世界で夢想するのが好きで、お姫様と王子様が出てくる本や世界のおとぎ話が好きでしたね。インドアで本が好き、勉強が好き、という子どもでした」

西浦明子 軒先株式会社代表取締役

 1969年2⽉28⽇神奈川県⽣まれ。上智⼤学外国語学部卒業後、1991年ソニー(株)⼊社。海外営業部に所属。1994年ソニーチリに駐在、オーディオ製品などのマーケティングを担当。2000年、同社を退社後帰国。創業時のAll About Japanで広告営業を経たのち、2001年(株)ソニー・コンピュータエンタテインメント⼊社。商品企画部にてプレイステーション2やPSPのローカライズ、商品開発などを担当。2006年同社を退社後(財)⽇本国際協⼒システムで政府開発援助(ODA)関連の仕事に携わる。2007年、出産を機に同財団を退団。約半年の構想準備期間を経て、2008年4⽉に軒先を創業し、2009年に法⼈化。

レッドオーシャンで闘うよりも、ニッチマーケットで1番を目指す

 中学校受験をして、私立の中高一貫教育の進学校に進学。中学3年生のころにロックが好きになったことがきっかけで、外国語に興味を持つようになりました。

 「当時、在日米軍向けに放送されていた『FEN』というラジオ放送で毎週土曜日にビルボードのTOP100を放送する番組があり、ラジオを聞きながら1位から100位までのタイトルとアーティスト名をノートに書くのが趣味。好きなバンドをもっと知りたくて海外の雑誌を読むようになり、自然と英語を勉強するようになりました

 大学に進学する際も、外国語学部を選択。けれど、あえて英語ではなく、ポルトガル語を専攻しました。

 「英語の場合、今から勉強をしても帰国子女にはかなわない。それなら、1番になれる確率が高い語学を選ぼう、と。そのころから、レッドオーシャンで闘うよりも小さいニッチマーケットで1番になるほうを選ぶタイプでした