ポルトガルの片田舎でも知られていたソニーに入社

 1987年に大学に入学。成績優秀賞を受賞し、目標通り1番に。けれど、語学だけで生きていけるほど甘くないと思い、語学を使って何かできる仕事はないかと探しました。

 「大学3年生のときに、交換留学制度で1年間ポルトガルの大学に留学しました。大学の周りには塩田が広がるような片田舎の街。そこで、日本から持ってきたソニーのウォークマンを使っていたら、クラス中の人が群がってきて『これはソニーか』と言われ、貸してくれ、貸してくれ、となって。こんなに世界で知られている企業なんだ、と思いました」

 それからソニーに興味を持ち、帰国後に就職試験を受け、無事内定。当時は、起業について全く考えていなかったそう。

 「就職活動するころはバブルの時代で、日本企業に勢いがありました。周囲に開業医や歯科医はいましたが、事業をやっている人がいなかったので、起業はキャリアの選択肢に全然入ってきませんでしたね。いい学校を卒業し、いい大学に入って、名だたる大企業に入る、というのが用意されていて、それ以外の選択肢を自分で見つけられるチャンスもなく、その中で自分は生きていくと思っていました

入社4年目でチリに赴任。サバイバルな生活がスタート!

 配属されたのは、海外営業部の中南米課。日本製の商品を輸出する手配や、海外支社を支援する仕事を担当しました。入社当初から海外駐在の希望を出していたら、入社4年目にチリへの赴任を打診されたそう。

 「まだ女性が海外赴任することは珍しく、発展途上国の中南米にはほとんどいませんでした。人事に言われたときは、『15分考えさせてください』と伝え、会社の外で一人考え、15分後に『はい、行きます』と返事(笑)。親にも相談しませんでした。若かったし、そんなチャンスはなかなかないと思ったから、すぐに決断できたと思います」

 1994年にチリへ赴任。当時は年間200億円くらい売り上げがある支社で、チリと隣国のペルー、ボリビアを管轄。社員200名ほどの支社には、社長を含め、日本人は3~4人しかいませんでした。

 「その日から初めての一人暮らしでスペイン語を使う生活。いきなり車を渡され車通勤になり、結構サバイバルでした。担当は、ウォークマンなどのポータブルオーディオやカーオーディオ。まだまだテレビやビデオといった製品よりもソニーのシェアは低く、ニッチな市場をどう切り開いていくかという仕事を任されたので、とてもやりがいがありました」

 駐在4年目に、日本に戻るか、それとも他の国に行くか、人事から打診があり、ローカル採用に切り替えチリで働き続けることを決意。ソニーではレアケースだったそう。

 「チリが好きで、もっとこの国にいたいと思ったので、あまりキャリアのことも考えずに決めてしまいました。2年ほどローカルスタッフとして働いたのですが、はたと30歳を手前に私はこの国に骨をうずめるのだろうか、と考えたんです。仕事も楽しんだし、やれることもやった。一方、世の中にインターネットが登場し、インターネットの時代を感じていたけれど、チリではまだ兆しも何もない。このままチリにいたら世の中の潮流から取り残されるだろうと思い、日本に帰国することを決意しました」

チリ駐在時代の西浦さん
チリ駐在時代の西浦さん