多くの子どもたちを見てたどり着いた「理想の保育スタイル」

 私は「教育」と「保育」と「子育て」は全くの別物だと思っています。ややこしいのですが。私は保育の仕事をしていても、家での子育てとは全然違うことをやっている感覚がありました。

・子育ては、「一緒に育ち合うこと」「共に歩く」こと。
・保育は、「生活の基盤を作る」こと。プロじゃないとなかなかに大変です。
・教育は、「教える」「知識を与える」こと。子育てや保育のベースがあるところに、さらに与えるイメージ。

 子育てしていて難しいことの一つに、「わが子を、別の人生を歩いている人と思えない」ということがあります。自分が産んだ子なので、どうしても他人事に思えないんですよね。それをハッキリと「別人格なんですよ」と明確に教えてくれるのが保育や教育の存在なのではないかな、と思います。でもね、この3つは、どれもいつからだってやり直しがきくものなんですよ。

 私が保育という仕事にハマったのは、子どもが1人の人として尊敬できる存在だと思ったから。

 道に落ちている石でも宝物にしてしまったり、日々ワクワクできる天才なんですよね。こちらが一生懸命やっていることも必ず伝わるんです(手抜きもバレています!)。この小さなひとたちのそばに居たい。ものすごく学べるから。その思いが、今も続いています。

 いま私は「ぷち保育園」の経験などから、「本当の保育を届ける拠点を作りたい」ということを目標としています。例えば、保育をする人の都合でクラスを年齢別にするのではなく、子ども同士、育ち合いができるような縦割り保育をもっと取り入れる。下の子が上の子を見て憧れ、上の子は憧れられることで成長の糧になったりもします。また、たくさんの友達と関わりたい子がいれば、少人数が落ち着く子もいる。それを理解して、子ども一人一人に合った、個別のカリキュラムを提供したいです。

 遠足も既存施設ではなく、森の中など自発的に遊ぶことができる所に出かける。家庭ではできない「保育」ができる場所を提供できるといいですね。一つの保育園に居続けなかったからこそ得られた人脈や知識を生かし、総合的に子育て支援できる拠点を作りたい!と思っています。

 たびたび感じるのは、「母親が担うべき」とされることが、あまりにも多過ぎるということです。色々な価値観があり、色々な子育ての方法がある。「こうあるべき」というものがあった時代から、自由に選択できる時代になった。いい面もありますが、あまりにも多過ぎる情報のなかから、母親が選択して、その責任を負うのは本当に大変なことです。

 保育のことは、保育のプロに任せてください! と言える拠点が必要だと思っています。例えばトイレトレーニング。子どものトイレトレーニングのために、家中のカーテンを外して、お母さんも身なりを気にせず、1日中、子どもの排せつに付き合う。そういう、お母さんが担っていることを、もっと保育のプロが「任せてください」と言えるような、拠点を作りたいと思うのです。

 私自身が「安心して仕事に没頭できるように、質の良い保育園を選んできた」という経験があるので、多少保育料は高くても、必要としている方は多いのではないかと感じています。物は増えているけれど、愛情が行き届いていない時代。お金で買えない、心の豊かさを求めている人が、最近徐々に増えてきたように思うのです。すべての子どもたちが自分に自信を持ち、自分を認める気持ちを持てるように、後押しをしていきたいと思っています。

(取材・文/槙本千里 イメージ写真/吉澤咲子)