「『おやゆびひめ』は自分で逃げなきゃ」

 先日、娘のリクエストに応えて『おやゆびひめ』を読んでいた時のこと。途中で娘が「こんな風に困ってばかりいたらダメだよね。ツバメさんに助けてもらわないで、自分で逃げなきゃ」と言い出しました。本によって違うかもしれませんが、うちにある『おやゆびひめ』は受け身でひたすら流される人生。お世話になった「ねずみのおばさん」に勧められ、請われるままに好きではない「お金持ちのもぐらさん」のもとに嫁いでいくシーンがあります。

 私はこのシーンを読むたび「イヤならイヤって言わないと、他人に支配される人生になっちゃうよ」と言ってしまいます。おとぎ話ですから、あまり批判的に見ない方がいいかも、と思いつつ「かわいい女の子」や「お姫様」は自分が結婚する相手を決められないって、やっぱりおかしい。

 息子も娘も自分でごはんを食べてトイレに行って、着替えもできるようになり、最近の私は子どものお世話をすることより、子どもと何を話すかを考えることが増えました。毎日の会話で「どっちがいい?」「どうしてそれが好きなの?」「その時、どう思った?」と彼・彼女の気持ちを聞いていると、価値観が形成されていく過程が見えて面白いです。自分がいいかげんに流してきたことをハッキリ指摘されて大事なことに気づいたり、反省したりすることもあります。

 ある時、娘の同級生のお母さんが長い髪をばっさり切りました。「○○ちゃんのママ、すごくカッコいいね!」と言ったところ、その子から「カッコいいじゃないよ。ママはかわいいの!」と言われました。そうか、この子たちとの会話で誉め言葉は「カッコいい」じゃなくて「かわいい」がいいんだな、と気づかされました。

 うちの娘が「お姫様」を好むように、「女子力高いね」と言われることを望む女性がいます。同じように「頼りがいがある」と言われたい男性もいるでしょう。

 彼・彼女たちがそのように「望むこと」自体を否定しても、本質的な問題は解決しないでしょう。身近にいる、欲求を素直に出してくれる「子どもたち」との会話を通じて、行動原理を観察すると、大人の建前論では見えないものが見えてきます。

 講演や審議会などの仕事で「男女共同参画」や「男女平等」に関する政策や啓蒙に触れる機会が多いです。それが家庭や学校の現場でどう浸透するのかしないのか、子ども達との会話から学ぶことは、本当にたくさんあるなと思います。

(イメージカット/鈴木愛子)