息子は料理やミシン掛けにも興味を示してやりたがります。赤ちゃんや小さい子も大好き。友達の弟や妹と遊ぶのが上手です。ある時、息子がいつものように、小さな子をあやしていると、友達の女の子に言われたそうです。「赤ちゃんと遊ぶのは女の子とかお母さんだよ」。

 「なんで? 誰が決めたの?」と息子が尋ねると、その子は言葉に詰まっていたそうです。もしかしたら「男の子も赤ちゃんをあやせる」と認識が変わったかもしれません。

 子どもには「面白くない家事」をやる習慣も持ってほしい。例えば洗濯物の片づけ。私がたたんだ後「自分のものはしまって」と言うと、かつて息子は「えー」とか「なんで!?」と抵抗していました。そういう時は、はっきり言います。

 「よその家では、もしかしたら、お母さんが全部、子どもの身の回りのことをやってくれて『あなたは勉強していなさい』って言うかもしれない。ママはそういうの、少しもいいと思わない。自分の身の回りのことができないのに、勉強や仕事だけできてもダメな人間になると思う。ママはあなたに、ダメな人間になってほしくない」

子どもとの日常のやり取りに表れる、親の価値観

 こういう日常のやり取りには、親の価値観が表れます。家事能力は、男らしさとか女らしさの問題ではなく、人間として自立するためのスキルだと私は思います。

 私の高校時代の親友・吉田理英子さんには、中学生の娘さんと小学生の息子さんがいます。ある時、彼女と「女子力」について話していたら、こんな風に言っていました。

 「『ハンカチとちり紙を持ってないなんて、女子力低い』『ボタンつけもできないなんて、女子力ゼロ』と娘に言っている時期がありました。そうすると男子にモテたい娘は意地になってやるので。でも、ある時息子に同じことをさせるのに女子力高いと言ってもやらないだろうと思い、そういうことは人間として基本のことだからできて当たり前だけど、敢えて言うなら『人間力高い』とか『生活力高い』だよねという話になりました」

 彼女は女性労働協会という財団で、女性が働くことを支援する仕事をしています。日々、娘さんや息子さんと向き合い、どういう風に話したらいいか考えることは、仕事にも生きているのでは、と思います。