「今ここ」に集中し、無心になる
和やかな談笑ののち、臨床美術体験は終了しました。体験後の感想を尋ねると……、
「同じ素材で同じプロセスで同じことをしているのに、こんなに仕上がりが違うんだな、と意外でした」
「小学校以来使ったことのなかったパステルで絵を描いて楽しかった。手が汚れるという理由で指を使って色を伸ばすことなど自分ではなかなかしませんから。童心に帰ったみたいに無心で楽しめました」
「無の境地」
「無我夢中」といった声が数多く寄せられました。
「今ここ」に集中し、無心になることの効用は、近年マインドフルネスとして取り上げられ話題になっています。脳の瞑想状態が仕事の生産性を上げる、という文脈で注目している方も多いはず。臨床美術のアートワークで絵を描いているときの無心状態はまさにこの状態。
「今ここ」に集中することで、ストレスを軽減し、仕事の効率を上げる効果が期待できるという点においては木野内さんが先のインタビューで話していたので、彼女自身が実証者と言えるでしょう。
臨床美術のセッションを受けた脳科学者の茂木健一郎さんは、「これは“脳のアンチエイジング”。臨床美術のプログラムでは、“脳への無茶振り”によって脳を活性化させるんだね」とおっしゃっていました。現在は、さらなる医学的解明に期待がかかっている段階だそうですが、直接的で即効的な効果はもとより、心のケアとしても、その可能性が注目され始めているのです。
その一つが鑑賞会を通じて自分と違う他者の表現を見ることで互いに人間性を認め合い、対人関係を友好的に促すプロセス。これが心のケアとして語られ始めているとか。一人ひとりの物語に耳を傾けることで、目の前の「個」が立ち上がってくる。「機能的価値」で判断されがちな現代社会の中で、「いてくれるだけで、うれしい。幸せだ」という思いを共有する機会は極めてまれで貴重な時間です。
相手を「ありのままの存在」として認め、受け入れる。これは木野内さんが話してくれた「存在論的人間観」につながります。
仕事、子育て、介護など、様々な場面で生かせる臨床美術
一人ひとりがアートを楽しむプロセスを通じて、例えば部署の異なるメンバー同士のコミュニケーションを活性するツールとして。あるいは、最近会話が少なくなった夫婦関係の改善のため、あるいは子どもの内面の成長をのぞいてみる手立てとして。インプットばかりでアウトプットの楽しみを知らないという方にもおすすめです。
また、日経DUAL読者は遠くない将来、両親の介護に直面する世代です。臨床美術のキットを活用すれば、木野内さんが見た、介護中の親御さんと一緒に絵を描くという夢も実現可能です。
(ライター/砂塚美穂、撮影/鈴木愛子)