「人と違って当たり前だ」と理解できるように

木野内 ところが、臨床美術を体験したことで、ダメ出しや人と違うことが当たり前だと理解できるようになり、ストレスがなくなるどころか、どんどん人を好きになり、仕事が楽しくて仕方がなくなってきたんです。

 多かれ少なかれストレスを抱えている会社の同僚たちにも、臨床美術の楽しさを体験してもらいたい。そう思って2~3人の同僚を相手に、会社で臨床美術を実施してみたところ、本当に楽しんでもらえました。

 数日後、その噂を聞きつけた総務が「総務部長をはじめ、総務総出で体験したい」と言ってくれまして。体験した総務部の方々が「これは楽しい」「社内でこの楽しみを体験すべきだ」と、すぐに福利厚生化のために動き出してくれました。

 100人以上いる社内のコールセンターの職場で「今日は臨床美術の日です」という社内のアナウンスを耳にしたときは、すごくうれしかったです。プライベートで始めたことが仕事になって、まるで市民権を得たようで、自分の夢が一つかなったような気持ちになりました。

東日本大震災後に訪れた、さらなる転機

木野内 次にまた一つ大きな転機が訪れます。それは東日本大震災の後、岩手の学童施設から呼ばれて被災地の子どもたちのために臨床美術をしにいったことでした。

 私自身、神戸で阪神・淡路大震災を経験しています。ボランティアとは、受け入れるほうも大変です。ですから「何か役に立ちたい」という思いと、逆に「近寄りがたい」という気持ちがせめぎ合い、「役割があって呼ばれるまでは自分から東北の被災地に行くことは控えよう」と思っていました。復興と言葉で言うのは簡単ですが、私自身、神戸の震災のときから、心の重荷を取るのに10年以上かかりました。

 神戸の震災直後は、目の前の「やらなければいけないこと」に向き合うため、まるで戦場のような荒れ地を平気な顔で歩いたり、何とか気を紛らわしたりしながら日常生活を営んではいました。ところが、かつての街並みを取り戻すくらい時間が経ったしばらく後で、突然、“破壊の景色”がフラッシュバックしました。そんな症状が長期にわたり、何度か繰り返されました。

 子どもなら、なおさらです。岩手の子どもたちだって、今は元気に見えるかもしれないけれど、ストレスを感じていないわけはない。そのストレスが10年単位で続いていくことを経験上、私は知っています。

 だからこそ、呼ばれたときは二つ返事で現地に向かいました。「神戸から来てくれたの?」という一言を聞いた瞬間、心通い合うものを感じましたね。子どもたちだけでなく、学童の先生までが夢中になって絵を描いてくれました。そして「今度はいつ来てくれるの?」と言ってくれたんです。うれしかったですね。

 呼ばれれば何度でもどこへでも行きたいと思いましたが、やはり一人の力では追いつかない。なんとかしたいという思いが募りました。そんなとき、社内で異動があったんです。異動先は、いわば生活向上のための学習を企画する新部署でした。すぐさま臨床美術を商品化して、一人でも臨床美術を必要としている方の手元に届けたいと思ったんです。

 御茶ノ水にある、臨床美術を開発した芸術造形研究所の先生方の承諾とご協力を得て、そこからはトントン拍子で話が進みました。家で臨床美術が体験できる様々な商品企画が実現化され、「脳がめざめるお絵かきシリーズ」は今では第四弾にまで増えています。また社内でもその後、18人の臨床美術士が誕生しました。

―― 18人もの臨床美術士を生み出す人材育成もされたということですか?

木野内 いえ、私が育成したわけではなく、うれしいことに18人みんな、本当に楽しいから広めていきたいと自発的に臨床美術士の資格を取得してくれました。

臨床美術の作品例
臨床美術の作品例