そんなだからわたしは、例えば同業者との会話のなかで「嫁」とか「主人」とかっていう言葉が出ると、「わたしに主人はいません」とか「それはありえませんよ」と、別に言いたくないけど、その場で即座に指摘するようにしている。

ママ友にも子どもにも、しつこく「夫は」と言い直す

 でもそれは、まがりなりにもある種の言論空間だからという認識もあるわけで、たとえばママ友たちとの会話のなかでそんなことを言ったら、よくわかんないけどモンスターペアレントならぬ、「モンスターママ友」になってしまうのもよくわかる。でも、やっぱりおかしいと思う気持ちは抑えられず、また、わたしの矜持でもあるから、「夫は」というふうに、文字でいうと極太ゴシック体ではっきり言い直したりするんだけれど、そんなの誰も気づかないし、何にもならない

 ジェンダー教育にかんしてもそう。「男の子は男らしく」「女の子はおしとやかに」なんて、ごく普通の価値観で、みんなにこにこ疑いもせずに、認めてる。「男が女を守るんだ!」「女は弱いからな!」とか、3歳くらいからふつうにがんがん仕入れてくる。機会があればそのつどつどに、ほかの子どもたち&保護者みんながいるまえで息子に「男も女もないよ。好きにすればいいし、なりたいものになればいい。男が女を守るんじゃない。そのとき余力のあるものが、困ってる人を助けるし、守るのだ」とはっきり言い続けてきたけど、「あー、やっぱ作家特有の、変わった感受性ですよね」っていうふうに受け止められてるのが、痛いほど伝わってくる。とほほ……どこにいけばあるんだ、主人も、嫁も、ない世界……

 自分の配偶者のことは「夫」でいいじゃないですか。旦那も主人もやめようよ。そして夫は「妻」と呼びましょうよ。あるいは、名字で呼びましょうよ。名前で呼びましょうよ。そして相手の配偶者のことは──わたしも過去、苦し紛れに「夫君は」なんて言うようにしてたけど「ふくん?」「そう、夫君は」「なにそれ」「……だから、旦那さんのことだよ」みたいな感じでほとんど通じない&不毛だったので、呼ぶ必要があれば、◯◯さんって、名前で呼ぶことにしましょうよ……。

 小さなことだけど、そうやって毎日使う身近な言葉から、子育ての関係性や夫婦間のバランスが変わっていくこと、本当にあるんだもの。今日もフレシネを飲んで、そんなことを考えた。

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