2000年代の東京で働き、遊び、恋をする女性たちの強さと優しさと美しさがないまぜになった日常をすくい取り、同世代の女性から大きな支持を得る作家のLiLyさん。かつてのドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』を体現するようなLiLyさんも、現在は7歳の息子と5歳の娘を育てながら精力的に執筆活動を続けるワーキングマザーです。

 昨年10月に刊行された自身の20冊目の著書となるエッセー『ここからは、オトナのはなし』(宝島社)では、専門領域である「恋愛」「セックス」に「出産・育児」がプラスされ、結婚していてもしていなくても、子どもがいてもいなくても、バツがあってもなくても、いまの時代を生きる女性なら激しく共感する本音と、勇気づけられる言葉がつづられています。作家としても新たなステージへと歩みを進めたLiLyさんに、「子育てと仕事の両立」や「ママ友と上手に付き合う方法」「理想の家族像」など、お話を聞きました。2回に分けて紹介します。

1981年、神奈川県生まれ。10~12歳をニューヨーク、16~18歳をフロリダで過ごす。上智大学卒業後、2006年、恋愛エッセー『おとこのつうしんぼ~平成の東京、20代の男と女、恋愛とセックス~』(講談社)でデビュー。昨年10月には20冊目となる著書『ここからは、オトナのはなし』(宝島社)を刊行。現在、『オトナミューズ』『Numero TOKYO』などファッション誌で連載を持つほか、月9ドラマ『好きな人がいること』の脚本協力やMCバトル番組『フリースタイルダンジョン』で審査員を務めるなど、多方面で才能を発揮。7歳の息子と、5歳の娘の母でもある
1981年、神奈川県生まれ。10~12歳をニューヨーク、16~18歳をフロリダで過ごす。上智大学卒業後、2006年、恋愛エッセー『おとこのつうしんぼ~平成の東京、20代の男と女、恋愛とセックス~』(講談社)でデビュー。昨年10月には20冊目となる著書『ここからは、オトナのはなし』(宝島社)を刊行。現在、『オトナミューズ』『Numero TOKYO』などファッション誌で連載を持つほか、月9ドラマ『好きな人がいること』の脚本協力やMCバトル番組『フリースタイルダンジョン』で審査員を務めるなど、多方面で才能を発揮。7歳の息子と、5歳の娘の母でもある

出産後の執筆は人類の限界への挑戦!?

日経DUAL 7歳の息子さんと5歳の娘さん、ふたりの子どもを育てながら執筆活動を続けるLiLyさんですが、いま振り返ると、第一子を出産してから一番大変だった時期はいつですか?

LiLyさん(以下、敬称略) まず、子どもが生まれる前の育児へのイメージと、実際に産んでからの現実が本当に違いすぎて! いまは離婚していますが、現在も一緒に子育てをしているパパと、出産前に「これからの時代、子育てはフィフティーフィフティーでやるべき。私たちはお互いに協力し合っていこうね」と話していました。パパはデザイナーなので、「オレ、事務所にベビーベッド買うから」と言っていて、「あなたって最高♡」みたいな(笑)。そのラブラブな会話からして、子どもがいる人にしてみれば、「いや、それ絶対無理だから…」っていう話なんですが。

 そんな意気込んだ状態から出産当日を迎え、陣痛の合間もキスをするような男と女のホットな関係のまま、赤ちゃんを迎えたんです。いやもう、育児とはこんなにも24時間体制なものなのかと…。ベビーベッドを置いておけばいいとかって問題ではないですよね。しかも、初めての赤ちゃんということで私自身がすごく神経質になっていたし、もう一生懸命すぎて、赤ちゃんが泣く前に発する「ふぇっ…」で目が覚めて、泣き始める前には抱っこをしているような、1秒も油断のない戦闘態勢に近い状態でした。

 育児がこんなに大変だったなんて本当に知らなかった…。『ママはテンパリスト』(東村アキコによる人気コミック)って大好きな作品なんですけど、「すいません、育児ナメてました」というそのキャッチコピーそのもの。だから、やっぱり一番大変だったのは初産の後ですね。

── 特に産休はとらず、執筆を続けていたんですね。

LiLy すぐに保育園などに預けなくても、子育てしながら続けられると思っていたんです。甘かった(笑)。当時は小説もエッセーも抱えていて、スリングで赤ちゃんを抱っこして、スクワットしながら恋愛エッセーを書くような状態で、ほとんど限界でした。人類の限界に挑戦しているような感じ(笑)。だけど締め切りは待ってくれないし、こんな状態で絞り出すように書いても、作品が面白くなければ次の本は出せない。途方に暮れて、ベランダで座り込んで目がテンになっていることがよくありました。