子どものしつけは動物の調教ではない

――テキトーに育てる。実はかなり意識しないとできないことのように思えます。例えば、どうしても宿題をさせなければ、ワークブックをさせなければと気負い、そのために「これができたらね」とモノを買い与える約束をしたり、何かすることの権利を与えたりする“ご褒美制度”をついやってしまいます。

立石 本来、勉強をすること、つまり「知らないことを知る」ということ自体が子どもにとっては喜びなんですよ。これをさせるためにお菓子をあげるという考え方はおかしいんです。知らないことを知るのは楽しいという、その思いを満たすことができれば、それそのものがご褒美になるんです。
 何かをさせるためにご褒美を設定するというのは、「エサで釣っている」という行為です。まるで芸をするたびにイワシを口に放り込んでもらう、水族館のアシカショーのようではないでしょうか。
 親の思い通りにコントロールしようと「病院で注射をしたらおもちゃを買ってあげる」「電車の中で静かにできたらお菓子をあげる」「(嫌がる習い事に行くために)帰りにコンビニでお菓子を買ってあげる」などとものをちらつかせる。こうした物質的な要求によって、「おもちゃを買ってもらえないなら行かない」「お菓子をくれないなら勉強しない」などと見返りがないと行動をしなくなっていきます
 また必ずとは言いませんが、どんどん要求がエスカレートしていき、やがてお菓子やジュースだけでは満足せず、ゲーム機→携帯電話→バイクと際限なく要求するものが大きくなっていくこともあります。

――よく、トイレトレーニングなどで「できたらシールを貼る」といった行為がありますが…。

立石 トイレトレーニングの時期のシール貼りは、シールを貼ることの楽しさにつながっていますから、必ずしもマイナスではありません。ただし、お手伝いしたらお手伝い表にシールを貼るなどして、そのシールが5枚集まったら鉛筆、10枚集まったらノートなど、モノに交換してしまうと、それはまたエスカレートするかもしれませんね。

――やたらと褒めたり、拍手したりというのも良くないのですか? 例えば、靴を履くことくらい当たり前のことのはずが、「えらいね!一人できれいに履けたね!」などと褒めてしまうと、「褒められないならやらない」になるのかと思ってしまいます。

立石 字が上手に書けたら花丸をする、頑張ったら拍手する、「頑張ったね」と称賛の言葉を与える程度のものは、最初は褒められたくて子どもは頑張ります。ただそれが「褒められないとやらなくなる」につながるわけではなく、褒められたことがきっかけで、そのことをすること自体が喜びとなり、だんだんと褒められなくても取り組むようになるんです。例えば、褒められるから勉強するのではなく、勉強するとたくさんの知識が得られて楽しいから勉強するようになったり、褒められたいから部屋を片付けるのではなく、部屋を片付けると気分爽快になるから片付けるようになったりします。

――褒め方、ご褒美の与え方にポイントは有りますか。

立石 子どもに人として生きていくうえで必要なしつけは“動物の調教”と同じではありません。「このプリントやったら後でシールを貼ってあげるから頑張りなさい」「ここまで書いたら花丸をしてあげるから頑張りなさい」という言い方では調教状態になります。「プリントを頑張ってこなしたね。じゃあシールをあげようね」「一生懸命文字の練習をしたね。花丸をしてあげようね」など、ご褒美を最優先にしない伝え方も大事です。
 「片付けたらおもちゃをたくさん買ってあげる」というエサで釣るしつけをして、ご褒美欲しさに何かをさせるより、「片付けるとキレイになって快感!」「やるべきことを早くやってしまうと遊ぶ時間が取れてよかった!」と、その行為自体を喜べたほうがいいですよね。無意識に「これやったら遊んでいいよ」「これ食べたらデザートあげるよ」と連呼している人は「早く片付けて遊ぶ時間をつくろうね」「食事全部、食べられたからデザートにしようね」など、言い方を工夫するところから始めてみてはいかがでしょう。