情操教育に良い、人生が豊かになる、知能の発達が促進されるといった理由で、共働きのママ・パパに高い人気を誇っているのが、ピアノなどの音楽の習い事です。

 中でもデュアラーの間で人気が高いのが、全国に3100会場を展開するヤマハ音楽教室。子どもの脳の発達に即したカリキュラムやオリジナル教材により、グループレッスンで、楽しみながら無理なく力が身につくレッスンを行っています。(くわしくは「小学校で差がつくヤマハ音楽教室幼児科の秘密」「親も驚いた!ヤマハで見せた我が子の成長」を参照)

 ヤマハで身についた様々な力は、実は大人になっても消えることはない「一生の宝物」になります。今回は、幼児期にヤマハ音楽教室に通っていたお二人、ロンドン五輪競泳男子200メートル平泳ぎ銅メダリストの立石諒さんと、ジャズ・ピアニストの桑原あいさんにインタビュー。音楽との出会い、そしてヤマハで学んだ経験が人生にどんな影響を与えたかをお聞きしました。

水泳に必要な「器用さ」や「リズム感」が養われた

立石 諒(たていし りょう)さん
競泳・ロンドンオリンピック銅メダリスト
1989年生まれ。神奈川県藤沢市出身。慶應義塾大学環境情報学部卒業。高校2年だった2006年に200メートル平泳ぎで北島康介選手の高校記録を破って注目を集める。2012年ロンドン五輪競泳男子200メートル平泳ぎ銅メダリスト。2017年4月の日本選手権で現役引退を表明。株式会社RT-japan設立。現役時代から日本が遅れていると感じていた、「スポーツに携わる人々の価値向上」「アスリートのセカンドキャリアの支援」に取り組む。

――水泳と音楽、それぞれいつ頃に始め、どのように歩んでこられましたか?

スイミングスクールに通い始めたのは4歳のとき。ヤマハ音楽教室に入ったのはその1年前、3歳のときです。どちらも自分から「やりたい!」と言い出したそうです。すごく好奇心が強くて、目についたもの何でもやってみたい子どもだったみたいで。両親も好きなことを自由にやらせてくれていました。

当時は福島県に住んでいて、福島県内のヤマハ音楽教室で3歳からレッスンに通い始めました。5~6人のグループレッスンで、マラカスやタンバリンなど、鍵盤楽器以外のいろいろな楽器にも触れられて面白かったですね。ドラムも体験して魅力を感じ、小2からドラムのクラスにも入りました。福島には小4までしかいませんでしたが、当時の音楽教室のクラスの友達とは今も交流があります

小5から生まれ故郷の藤沢に戻り、藤沢市内のヤマハ音楽教室に中3まで通いました。辞めた理由は、中3のときにアテネオリンピックを見て、どうしてもオリンピックに出たいと思い、水泳に集中することを決意したから。でも、音楽を習っていた頃はとにかく「楽しかった」という記憶しかなく、好きな気持ちは今も変わりません。習うことはやめても、ずっと音楽に支えられてきました。

一番練習していた時期は1日25km泳いでいて、6時間ほどプールの中で過ごす生活。水の中では、ゴボゴボという音しか聞こえないんだけど、頭の中ではいつも音楽が流れていました。それがリラックス効果につながっていたと思います。

僕は試合会場では、その場の空気を感じていたいので音楽を聴かないんですが、オフのときはずっと聴いています。リラックスするのに音楽は欠かせないので、新幹線で移動するとき、イヤホンを忘れていようものならかなり凹む。音楽がないと生きていけないですね(笑)。

――音楽を習った経験が、水泳に活きたということはありますか?

テンポ感、リズム感が身に付いたところだと思います。平泳ぎは同じ動きを繰り返し、ペースを一定に保たなけなければならない泳法なんです。トップクラスの選手になると「50mを*秒で」と、タイム目標を決めて泳ぐ練習があるんですが、全盛期の僕は誤差0.05秒以内など、寸分狂いなく達成していました。頭の中にメトロノームが内蔵されている感覚です(笑)。

それに、水泳には「器用さ」も必要です。特に僕の場合、細身で筋肉が付きにくい体質だったので、クロールのようにパワーが必要な泳法より、テクニックが必要な平泳ぎが向いていた。エレクトーンもドラムも、左右の手と脚、それぞれバラバラに動かす演奏法なので、器用さは養われたのかもしれません。

日本代表レベルともなると、皆、指の第一関節を少し曲げた状態で泳いでいるんですよ。また指と指の開き具合が2~3mm違うだけで、タイムに2~3秒の差が出てきたりする。手足の動きだけでなく、指先の形のコントロールまで同時に行うのは、やはり器用でないと難しいですよね。

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