「個人」と「運」と、束の間の高揚感

 そんな話を様々な業界で働く友人たちとしていると、やっぱりふだん「そんなの信じてないっすよ」スタンスの、わたしのような現実主義者が「わあっ」ともたれかかってしまう場合ってすっごく多いみたいで、たとえばどこから見ても自信満々、今や押しも押されぬキリリとした某俳優も、そういった「先生」に会うといきなり「ずるむけ」状態に陥ることも珍しくなく、そんなのはむしろ鉄板というか、じつにありふれた光景なのだという。「これまで、自分のちからでやってきた」「わたしは、わたしの人生を自覚的にしっかりと生きてきた」という自負が強い人ほど「うそーん」とのけぞってしまうくらいに、脆い

 そしてこれはまた、フリーランスの悲しい宿命でもありますわ。「確かなものなど何もない」のは今や会社員もおなじだけど、フリーランスは最初から最後まで、じつにそれ一色なのである。そして「個人」でやってきたのだという自負がある人ほど、おなじくらい「運」としかいいようのないものの恩恵に与っているわけで、「じゃあ、その運についてあなただけに、お話しますよ」って言われれば、気にしちゃう人も、そりゃ多いですよねえ……。

 自分がいい加減な人間であることは知っていたけど、間違いなかったわ……とがっくりしつつも、しかし今これを書きながら、「キャンパ~イ💕」とともにあったあの高揚感はあとかたもなく消え、つかの間の魔法が完全に消え去っているのをひしひしと感じる。ああ、やはり自分自身でやるしかないのだ、何もかも。そう、誰も、何も、未来や自分の幸や不幸をを約束してくれるものはない。そもそも約束って何なのだ? そうして気がつけば、わたしはいつものつまらない現実主義者に戻っており、ああ今日は小説の、難しいところ書けたなあ、よかったなあ、仕事のあとのフレシネって最高だなあ~とささやかな幸せを噛みしめているのだった

ちょっと早めのお正月ってことで金沢に行ってきた。毎度のことながら、疲れすぎて記憶がない。
ちょっと早めのお正月ってことで金沢に行ってきた。毎度のことながら、疲れすぎて記憶がない。

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