「いや、もうそれが、ありえないほど素敵なことを言われちゃって~💕」「ええっ、すごい!」「未来に幸あれ!キャンパ~イ💕」みたいなエディターたちとのやりとりに浮足立っているそんなわたしを、少し離れた場所からシラーッとした目で見ていたのはミミである。

 ミミの冷たい視線にハッと気がついたわたしは、えっへんとひとつ咳払いしてから、

「仕事のこと、ほら、今やってるあれね、うまくいくって」
「……」
「2018年が、なんていうかわたしにとってもう、爆発的にいい年とかで」
「……」
「で、あ、あの仕事も」
「……」
「あ、あの」
「……もう、あんなに色々お話して。勘弁してください。布に浮かびあがるミエコさんの影、前のめりすぎて、ほとんど占い師の方の影とくっついてましたよ。今度から必ず同席します。っていうか、今度とかないですよね?」
目を細めてわたしをじいっと見るんである。

「いいこと」を大事にしたままにしたい気持ち

 しかし、である。嬉しくてテンションが爆上がったのは事実だけれども、しかしそんな自分自身の滑稽さも、さすがに重々承知はしているのである。第一、言われた「いいこと」だけを信じるのは、世界に対する態度としてやはりフェアではない。その「いいこと」を信じるのなら(だいたいは言われないだろうけれど、しかし当然あるはずの)「悪いこと」も同じように信じるのが、何かに対するせめてもの礼儀であって、いいとこ取りというのは、これはよくない。でも、それでもなお、言ってもらった「いいこと」を「なし」にしたくない、有効にしたまま、勇気をもらったままに、しておきたい……まったく往生際が悪いというか、どうしようもない自分がいるのも事実であって、ここしばらく「信じるべきか、どうなのか……ううん、すっごく信じたい……」とわりに本気で身悶えていたのである。われながら、さもしく、また、情けないことである……。