「東北のマザー」と呼ばれた青森県弘前市の佐藤初女(はつめ)さんが2016年2月、94歳で亡くなりました。岩木山のふもとに立つ「森のイスキア」で、人生に迷い心が疲れた人たちを、おむすびと手料理で迎えていました。私(ジャーナリスト・なかのかおり)も取材で初女さんに何度かお会いしました。おむすびを握る会などで、初女さんを慕ってくる人の話に、じっと耳を傾ける姿が印象に残っています。「食はいのち」という信念のもと、晩年まで講演やおもてなしを続けた初女さんの生き方が、改めて注目されています。今回は、公私ともに交流のあった編集者の思いや、初女さんのおむすびレシピを紹介します。

<前編記事> 悩める人に、おむすびで寄り添った佐藤初女さん

若い人や子どもたちに、面倒がらず行動することの大切さを伝える

 2016年3月、出版された初女さんの遺作となった『いのちをむすぶ』。担当した集英社の編集者・武田和子さんは、初女さんがダライ・ラマと共に紹介された映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第二番』をきっかけに出会いました。

 イスキアや講演に来られない人のために、本を作る。「あなたのお仕事をね」と言われていました。20年のお付き合いの中で人生の変化もあり、武田さんは出産して母になりました。仕事柄、外食がちでしたが、食には以前から興味があり、自炊もしていました。子どもができて、「手抜き」がしにくくなりました。

初女さんの遺作『いのちをむすぶ』(集英社刊)
初女さんの遺作『いのちをむすぶ』(集英社刊)

 ワーキングマザーは、忙しくて3食を整えるのが難しいときもあります。初女さん自身は「求められたら、どんなところにも行きます」と国内外の講演に飛び回り、お客さんをもてなし、1日も休みがないハードスケジュール。「講演から帰る途中にイスキアで出すメニューを考え、夜遅くに翌朝の下ごしらえをして、朝4時に起きて料理。私たちには、できることからでいいのよと優しく話していました」

 武田さんは長女にアレルギーがあり、味噌や梅干し、パン、マヨネーズなどを手作りしました。保育園の給食もほとんど食べられなかったので、お弁当を作っていたそうです。

 「少し頑張って作ってみたら、おいしかった。『おいしい』は究極の肯定感です。食事をおいしくいただくということは、自分を大切にすること。そして、忙しくて疲れ切っていて、自分のためだけでは頑張れないときでも、大切な人のためなら動けると家族ができて知りました。動いてみたら、自分が変わる。その繰り返しだなと思います」と武田さん。初女さんは、若い人や子どもたちに、面倒がらずに行動することの大切さを伝えたいと話していました。

 武田さん家族が最後に初女さんに会ったとき。4月の終わりに咲く弘前の桜を楽しみにしていたそうです。武田さんや支援者の家族にも心を寄せ、「若い人におむすびを握ってもらって、みんなでお花見をしたいね」と話していた初女さん。「子育てや仕事の悩みが出てくると、初女さんの言葉がまた意味を変えて、心に響いてきます。私には宿題がいっぱいです」と武田さんは言います。

 昨秋には弘前で、初女さんを撮り続けた写真家、岸圭子さんとオザキマサキさんの展覧会を企画し、久しぶりにイスキアのドアがオープンされました。全国から延べ1500人が訪れ、初女さんをしのびました。今年2月の一周忌に合わせ、岸圭子さんが2月1日~5日、銀座・森岡書店で写真展を開く予定です。