経営企画部長就任は「めっちゃめちゃ大変だった」
羽生編集長(以下、羽生) 人を管理するようになったのはおいくつからですか?
山崎さん(以下、敬称略) 2005年からなので、31歳くらいですね。
羽生 アパレル業界は女性が多いイメージがありますが、管理職の割合となるとまだ少ないそうですね。
山崎 そうですね。他の業界にも言えることかもしれませんが、やはり任せる側の覚悟もまだ足りないですし、女性側も十分にアピールできていないという両面があるのだと思います。
羽生 万里子さんの場合はどうでしたか?
山崎 管理職になりたいというアピールはしませんでしたが、販売促進部の範囲では飽き足らなくなってジョブスイッチしたいと思った時に「もっと会社の経営全体を見通せる仕事がしたいんです。興味あるんです」と社内のいろんなところで言っていました。ずっとマーケティングの部署でやっていたので、会社全体をどう運営していくかという経営者を補佐する仕事がしたかったんです。そして言うだけじゃなくて勉強もしていました。ビジネススクールに通っていたんです。
羽生 マネジメントを意識して。
山崎 そうです。働きながら、グロービス・マネジメント・スクールに通っていました。組織改革で社長室付で経営戦略を練る仕事になって、定時で帰れる余裕ができたこともあって。
羽生 そして希望かなって、経営開発本部の経営企画部長に就任されたのが2008年のことですね。大役ですね。
山崎 はい。大役でしたし、大変でした。何が大変って、やったことのない仕事の部長をやるということの過酷さです。めっちゃめちゃ大変です。部員はみな長く仕事をしていて優秀。人間関係も文化もすでに醸成されている中にスッと入っていくわけですから。
経営戦略を練ったり、会社の中長期計画をつくるための知識はビジネススクールで学んではいましたが、実務経験はゼロでした。周りは黒帯級に実務経験を積んできた部下ばかり(笑)。みな自信もあるし、プライドもある。そんなメンバーを実務未経験でまとめていくことに苦労しましたね。
羽生 ハードですよね。
山崎 しかも、経営企画部長として他の部署も巻き込んでいかないといけないじゃないですか。コーポレート部門の長というのは、長く下積みしてキャリアを築いた方が多いので、ここでも対等に交渉していくのが大変でした。「人事としては」「経理としては」という主張をいかに調整していくかというハードルを乗り越えないといけませんでした。