日本初の障害児保育園&重度障害児向け訪問保育をスタート

 そうした状況に応えて、フローレンスは2014年、医療的ケアのある子どもを中心とした障害児を専門に預かる「障害児保育園ヘレン」を東京・杉並区に立ち上げた。親が働き続けられるというメリットに加え、障害を持つ子どもにはリハビリ効果も生まれる。友達が口から食べているのを見て刺激となり、経鼻栄養を脱して区立の認可保育園に転園した子どもがいたという。2015年には医療的ケアのある障害児の家でマンツーマンで保育を行う「障害児訪問保育アニー」もスタートさせた。

認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さん
認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さん

 全国的にヘレンとアニーを拡大していくと同時に、制度も変えていかなければならないと痛感した駒崎氏は、全国医療的ケア児者支援協議会を発足。政治家や厚労省、文科省の役人を視察に招いて、現状を訴えた。活動が実を結び、「改正障害者総合支援法」が成立した際に、医療的ケア児の支援体制の整備が盛り込まれた。歴史上初めて「医療的ケア児」という言葉が法律に入った瞬間だった。この法律改正によって、自治体には医療的ケア児支援の努力義務が課せられた。これは大きな第一歩である。

 2017年4月には、東京・江東区に認可保育園「みんなのみらいをつくる保育園」の開園を予定している。そこには「障害者保育園ヘレン」も併設し、「障害児」「健常児」の垣根がない、共に遊び共に学べる統合保育を目指すという駒崎氏。「障害児を持つ親が何でも挑戦できて働ける当たり前の社会。どんな家庭でも笑って過ごせる。そんな社会を作っていきたい」と力強く話した。

重症心身障害児を育てた佐々さん。「親ががんばらないと支援は受けられない」

重度脳性麻痺を持つ子の母で、任意団体「NAOのたまご」代表の佐々百合子さん
重度脳性麻痺を持つ子の母で、任意団体「NAOのたまご」代表の佐々百合子さん

 続いて登壇したのは任意団体「NAOのたまご」代表の佐々百合子さん。2014年11月10日、2歳3カ月の短い生涯を閉じた長男、尚武くん(以下、尚くん)は、出生前に胎盤が子宮から剥がれてしまう「常位胎盤早期剥離(はくり)」のために低酸素状態になり、重症心身障害児となった。けいれんと反り返りが頻発し、常に目が離せない状態。

 製薬会社で社内弁理士として働き、尚くんが生まれた後は復職を考えていた佐々さんは、人生設計の変更を余儀なくされた。講演では在宅介護生活の様子が紹介され、尚くんの介護に疲弊し、十分な社会的支援が受けられず、社会から孤立し、精神的に追い詰められていく様子が語られた。

 まず初めに、尚くんの毎日の生活に必要な医療器具がスライドで紹介された。鼻から胃へと栄養を送るチューブ、栄養バッグ、注入棒、反り返りが強い尚くんが、一人でも座った体勢を維持できる座位保持装置など。福祉器具はその子に合わせたオーダーメイドのため、20〜30万と想像以上に高価だ。

佐々 身体障害者手帳があれば、公費の補助を得て購入できますが、尚くんの年齢では手帳の取得は難しいと言われました。脳性麻痺の場合、成長によって病状が変化する可能性があるため、手帳を取得できるのは3歳ごろ、早くて2歳半頃が一般的だそうです。

 手帳の申請には医師の診断書が必要なので、生後4カ月ごろから手帳を作りたいと、何度も医師にお願いしては断られる、の繰り返しでした。ある理学療法士からは、「そんなに必要なら自腹で買うしかないね」と言われてしまったことも。仕事もできず、この先いくらお金がかかるのか先の見えない状態で、20万、30万するものを買えるでしょうか?

 結局、粘りに粘って、診断書を書いてもらえたのがちょうど1歳の誕生日でした。障害児を持つ親は、嫌がられても諦めずにがんばらない限り、どこからも助けてもらえないことを痛感しました。

 先の見えない状態でも、自らが強く動いていかないと支援を得にくい現状を、佐々さんは訴えた。