毎朝目覚めるたびに、アナウンサーであることがうれしくて仕方ない

 子育ては楽しい日々でしたが、アナウンサーを辞めようと思ったことは一度もありませんでした。それには、実家の母の影響が大きかったように思います。

 母は保育士で、園長も長く務めていました。仕事や私達きょうだい4人の子育てだけでなく、秋田の田舎の「嫁」でもあったので、本当に毎日忙しそうにしている姿しか見たことがありませんでした。

 そんな母が、定年で保育士の仕事を辞め、生まれて初めて夫婦で海外旅行に行ってきたんです。大量のお土産を抱えて楽しそうに帰ってきた母を見て、「こういう解放感や充実感は、ずっと仕事を続けてきた人にしか分からないんだろうな」と羨ましく感じました

 母に「働いたほうがいい」なんて一度も言われたことはありません。でも、母の背中を見て育ったことで、自然と一生仕事を続けるものだと思うようになりました。 

 入社20年以上経った今でも、毎朝目覚めるたびにアナウンサーとして仕事ができていることがうれしいんです。「今日もナレーションができる」「ラジオでしゃべれるんだ」って。自分の母がそうであったように、母であること、仕事を続けるということ。どちらも自分の幸せだと思っています。

「道の真ん中で大泣きする娘。保育園に通い始めたころの写真です。私と離れるのが寂しかったのか、ピンクの保育園バッグを見ると反射的に泣いていました」(堀井さん)
「道の真ん中で大泣きする娘。保育園に通い始めたころの写真です。私と離れるのが寂しかったのか、ピンクの保育園バッグを見ると反射的に泣いていました」(堀井さん)