私が経験したことが誰かの力になるなら、公表したいと思った
―― 公表するときの気持ちは。
生稲さん 失うものもたくさんあると思いました。病気のイメージから、できなくなる仕事もあるだろうと。でも、違う何かがあるかもしれない。隠しているのは苦しい。そして私が経験したことが同じ状況の方の力になるなら、公表したいと思いました。公表は「人のため」と思っていましたが、結果として、自分が一番楽になりました。つらいときはつらいと言える。「今日は元気」っていうときに、元気な顔ができる。正直に生きるのが、生きていくうえで楽です。私はがんになる以前に、心理カウンセラーの資格を取っていました。そのとき学んだ「マイナスの考え方をプラスに変える」ということが、闘病の初めの段階ではできませんでした。このころになってようやく実践できました。
娘も、闘病の5年半、周りの人にがんのことを話さないでいてくれたんです。私が5歳だったら、しゃべっちゃったかな。私が病気について話した番組を、お友達も見ていたそうなんですが、普段通りに接してくれていたそうです。ママたちもさりげない気遣いをしてくれて、うれしかったですね。PTAの集まりのとき、私が椅子を3つ持っていたら、「持たなくていいよ」と手伝ってくれたり、お祭りで野菜を売っていたママが「快気祝いだよ」と言って白菜をプレゼントしてくれたり。
―― 今の生活はいかがですか。
生稲さん 経過観察で3カ月に1回、乳腺外科に行きます。再建した形成外科にも。ホルモン剤を飲んでいて多少のリスクがあるので、婦人科に半年に1回は行きます。体がだるい日もありますよ。もともと更年期障害が出てもおかしくない年齢ですし、ホルモン治療の副作用なのか、急に暑くなって汗が出る「ホットフラッシュ」があります。暑がりなので強く出てしまい、仕事のときにくるとやっかいですね。公表する前は、仕事場で言えなくてごまかしていましたが、今は男性にも言えるようになりました。