公表する前に、イタリアロケや温泉ロケなどハードな仕事もこなす

 患者は、知りたいことや心配事がたくさんあります。治療の副作用や痛みについて、「こうなっていくのは自分だけなんだろうか」「この痛みはほかの人にはないんだろうか」とすべてハテナマークで、そこから不安に移行します。「痛いよね、同じだね、頑張ろう」と気持ちを共有できる存在の「がん友」は必須だと思います。私は、同じ状況の患者さんのブログを読んで励まされ、頑張る勇気をもらいました。正直に語ってくれる情報や、メッセージは必要なんだと実感しましたね。

 2014年の1月4日に退院し、10日に抜糸。14日に仕事が始まりました。2月に聞いた結果は、リンパ節への転移はなく、これまで通りのホルモン剤治療で大丈夫ということでした。副作用がより強い抗がん剤治療をしなくてもよくなり、休まずに仕事が続けられました。

生稲晃子/光文社
生稲晃子/光文社

―― 全摘の手術後、イタリアロケや温泉ロケなど、ハードな仕事もこなしていました。

生稲さん 乳房を再建するために、胸に拡張器を入れて皮膚を伸ばします。そこに注射器で食塩水を少しずつ入れるのですが、つなぐパーツに金属が含まれていたので、「飛行機に乗るとき金属探知機が鳴るかもしれない」と言われました。北海道ロケのとき、周りのスタッフに公表していませんでした。「ここでばれたらしょうがない」「イチかバチか行っちゃおう」と突撃です。実際は、鳴ることはなかったです。

 ホルモン剤の副作用で倦怠感は強かったです。仕事と思うとやれてしまうもので、仕事があってよかったです。イタリアロケのとき日本から電話がかかってきて、何かと思ったら「娘が学校に行っていない」という連絡で、拍子抜けしました。夫と娘とで寝坊してしまったみたい。ママ友2人には、全摘の話があったとき、自分にこれからどのようなことが起きるか分からなかったため、病気を打ち明けていました。「何かのときは娘をお願いします」と話しましたが、実際は病気を理由にお世話になったことはありませんでした。