「家族のために死ぬわけにいかない」と全摘手術を受け入れる
―― 全摘手術のときも、家族との生活に支えられました。
生稲 3度目の手術も日帰りで、帰宅して「髪の毛を洗いたい」と言ったら、夫が洗ってくれて、娘がずっと体を支えてくれました。ありがたかったし、情けなくて泣けてしまいました。娘は言葉で「ママ、大丈夫?」とは言わないけれど、要所で手紙をくれて、力になろうと思っています。勝手なもので、夫には優しい言葉をかけてほしかった。でも、今思うと、普通に接してくれたから頑張れたと思います。「何もしなくていいよ。座っていて」「つらいよね」なんて言われたら、本当につらくなってしまって、立ち上がれなくなっていました。家族の一人として扱ってくれたのが良かったです。
家族は「第二の患者」と言います。患者の私以上に、不安が大きかったと思います。うまく2人は乗り越えてくれたんだろうなと感謝しています。私が闘病していた5~10歳の間、娘は誰にもがんのことを言わなかったんです。相当な葛藤があったのではないでしょうか。子どもは大人が思う以上に、敏感ですべて分かっているんじゃないかと思います。娘は「覚えていない」って言うけれど、本心は分かりません。もうちょっと大きくなってから、本当はどうだったのか聞いてみたいです。
(衣装協力)