再発が分かったときは、初めてのときよりも衝撃だった

―― 子育てがあって、頑張れました。

生稲 そうですね。術後のチェックでほとんど裸の状態でいると、娘が「ママにお洋服を着せてあげて」と看護師さんに頼んでくれたと聞きました。娘はいつも、怖がることなく傷の様子を見ています。しっかりしているといっても、まだ5歳。病気もするし、ケアが必要です。夫は時間の融通が利く仕事なので、夫婦で時間を調整しながら乗り切りました。保育園にもお世話になり、病院から帰れば私が車で迎えに行きました。

 手術で採取した細胞を検査し、転移を起こす浸潤性のがんと分かりました。約1カ月の放射線治療をして、ホルモン剤を飲むことに。治療は10年単位と説明され、先が見えない状況。放射線治療の最中、娘が何回か高熱を出しました。2012年も、色々なことが起きました。お世話になった地井武男さんが亡くなり、娘が小学校に入学。そして再発が分かり、2度目の手術を受けました。

―― 初めての告知より、再発のほうが衝撃だったのですね。

生稲 放射線治療が終わってしばらくしたとき、胸にニキビのようなものができて、お風呂に入るたびに娘と「なんだろう」と言っていました。調べてみたら悪性で、初めてがんが分かったときよりも、衝撃でした。またあの苦しさ、恐怖を繰り返すのかって。娘には「これ、がんなんだって」「また切らなきゃいけないんだ」と話しました。それでも娘のご飯を用意したり、笑顔で仕事に出かけたり。精神的なギャップが激しく、おかしくなりそうでした。

 引き続き、がんは公表せずに仕事していました。ちい散歩は加山雄三さんが引き継ぎ、私もレギュラー出演。やはり健康番組に病気はそぐわないと思いました。2度目の手術は、部分麻酔で怖かったのですが、体への負担は少なく日帰りでした。手術後の収録で、腕が上がらないときは「四十肩で」とごまかしました。