保育園時代に抱いた「パパの音楽を継がなければ」という使命感
―― 5歳からピアノを習ったことが音楽を志すきっかけになったのですか?
平原さん ピアノを弾くのは好きで、音を聞いたり指の動きを見たりすればその曲を弾けるような子どもだったみたいですが、とにかく練習が嫌いでした。でも「パパの音楽を継がなければ」という義務感というか、使命感のようなものはどういうわけか保育園のころからありました。
それまで私はどちらかといえば引っ込み思案で、学芸会では「石」とか「木」とか「ドア」の役ばかり。「いつか私は変わらなければ」と思っていました。そんなとき、小学校6年生の学芸会で「龍の子太郎」という演目をやることになり、そのヒロインの名前は「あや」だと知りました。「これはやらねば」と思い、勇気を振り絞ってオーディションを受けました。
あの瞬間、自分の世界が変わったことは確かです。
学芸会を境に学級委員などもするようになりました。高校は音楽学校に進み、サックスの練習に明け暮れる一方で、3つ年上の姉がミュージカルで歌を歌っている姿を見て「私もあんなふうに歌ってみたい」と憧れたんです。それが歌に進んだきっかけとなり、ほどなくして、舞台で歌う私を父の知り合いのレコード会社のプロデューサーが見てくださり、「Jupiter」でのデビューにつながりました。
いつか私自身も子どもを持つ日が来ると思う
―― 平原さんは舞台で子ども達と一緒に歌ったり、音楽活動の中で子どもに触れる機会が多いように感じます。子どもに対して、何か特別な思い入れがおありでしょうか? また、これからの抱負などあればお聞かせください。
平原さん 去年、小児がんで苦しんでいる子ども達とその親御さんを支援するために「平原綾香 Jupiter 基金」というものを立ち上げて、寄付させていただきました。また、診察や医療活動を無料で行っている連合施設がアフガニスタンにあるのですが、今年のクリスマス、12月25日に開催される「第2回平原綾香 Jupiter 基金 チャリティコンサート」の寄付金は、そのアフガニスタンの子ども医療支援に寄付いたします。
私はもともと子どもの扱いが分からなくて、抱っこするのもままならなかったのですが、姉に子どもができて以来、「綾香はこんなに子煩悩だったのか」と父が驚くくらい、ケアできるようになりました。子育て中のママ達が自分の時間を削って子ども達に何かを教えたり、世話をしている姿を見ているうちに、「ママ達や子ども達に負けないように私もしっかりしなくちゃな」と思うようになりました。いつか私自身も子どもを持つ日が来るでしょうし、歌うことを通じて、何か社会に還元できたらいいな、と思っています。
―― 素敵ですね。今日はありがとうございました。
(取材/日経DUAL編集部 小田舞子、ライター/砂塚美穂、撮影/小野さやか)