ごはんつぶまみれだって、お母さんはきらきら美しい

―― 中川さんが保母さんをされていたころをまとめた第一章には、子どもたちに真剣に向き合い、日々奮闘する姿が描かれています。

 私、中川先生の何が凄いと思うかというと、「子どもの人権を尊重している」っていうことに尽きるんだと思います。

―― うわ、すごい!小島さん。 実はですね、中川さんのお宅で取材をすると、必ず最後に「児童憲章、子どもの人権」のお話をされるんですよ。

 そうなんですか!? なんだかつながっているようで嬉しいです。中川さんの保育士時代のお話を読むと、子どもを「未熟な存在」として扱うのではなく、自分と対等な人間として尊重し、見守っていたことが随所に感じられるんです。それと同時に、中川先生が、私たち母親のことも子どもたち同様に信頼してくれていることを感じて胸が熱くなるんです。

 私は母親になって13年になりますが、当初はもちろん、今でも時々、社会の中で「母親」たちへの風当たりの強さを感じています。特に最近のお母さんたちは、子育てだけじゃなく、仕事もしなければいけない、家事もしなければいけない……。さらに外に出れば、子どもがちょっと騒ぐだけでも周りから眉をひそめられる。褒められたり、信頼される機会なんてほとんど訪れません。次世代を育てている女性たちが大事にされない社会。そんな中で、わが子にやさしく接することはとても難しい……。でも、中川先生は「子どもは子どもとして素晴らしいし、お母さんはお母さんとして素晴らしい」とこの本の中で何度も私たち母親を勇気づけてくれるんです。

―― 「何もしなくたって、お母さんはそこにいるだけできらきらして美しいじゃない」っておっしゃっていました。この「きらきら」、最近流行りの「キラキラママ」じゃないんです(笑)。中川さんがいう「きらきら」とは、ごはんつぶまみれだって、うんちやおしっこのお世話だらけだって、子どもを懸命に育てているだけでお母さんは傍から見て「きらきら美しい」存在だって。

 うん、うん。だから中川先生の言葉で改めて「お母さんが好きなのよ」って言ってもらえると、心が本当に軽くなって、じんわり幸せな気持ちになるんです。

「離れたくない!」「会いたかった!」と正直に口に出して抱き合う

 私は息子たちが0歳ときから保育園にあずけていました。毎朝、子どもを保育園に連れていくとき、子どもは私と離れることを嫌がって泣きますよね。私も当然悲しくて、こんな目に合わせることは悪いことなんじゃないか、うちの子はかわいそうな子なんじゃないかと、すごく悩んだ時期がありました。でもそのうち、息子を園にあずけるときは、お互い「離れたくない!」と別れを惜しんで、迎えに行くときは「会いたかった!」と手放しで喜ぶようにしたんです。そうすると、私が息子のことを大好きで、片時も離れたくないと思っていることが息子たちにも伝わるんですよね。寂しさを感じさせてしまうことに罪悪感を抱くよりも、寂しさを私と息子で分かち合っていることを伝えたいと思ったんです。

―― そんな赤ちゃんだった息子さんたちも、お兄ちゃんはもう中学生ですよね。小島さんにとってどんな存在ですか?

 大きく成長してきていますが、私が全身全霊をかけて、最も真摯に向き合っている人たちです。こんなに愛している人は他にはいませんよ、夫には申し訳ないですが(笑)。息子たちにはよく「どんな大勢の中にいたって、ママには君たち2人だけがハイビジョンで輝いて見える」と伝えるくらい、2人は私にとって特別に見える。「親バカ」という幸せな病にかかっています。過保護という親バカではなく、”あなたはあなたでいることが素晴らしい”と本気で伝える親バカです。もちろん、息子たちが全く手のかからない優等生なわけではなく、大声で怒ることも多いですし、感情をあらわにして泣くこともあります。皆さんと同じように子育てと仕事の両立に、もがき、苦しみ、悩みながら日々を過ごしています。