ダイニングテーブルの上に置いた「小4 算数」の教科書の表紙を、アキコはしばらく眺めていた。手に取ってページをめくる。1ページ目、2ページ目はきれいなままなのに、50ページ目が大きくカッターで切り裂かれていた。切り裂きは他のページにも及び、斜めに、真っすぐに、何枚ものページが傷つけられていた。63ページ目にマジックで大きく「クサイ」と書かれているのを見つけて、アキコは思わず教科書を閉じた。
娘のエリカはいじめにあっている。きっと陰湿ないじめに。
1カ月くらい前から、エリカはお友達の話をほとんどしなくなった。それまではアキコから聞かなくても、うるさいくらい学校やお友達の話をしてくれたものだ。だんだんと口数が減ってきて、何を聞いても生返事をするようになってきたエリカを見て「そろそろ反抗期なのかな」などと、少し寂しく感じたものだ。
異変を感じたのは今朝のことだ。
「朝ごはん食べたくない」
「おなか痛い。頭もちょっと痛い」
そう訴えるエリカに「何かがおかしい」と感じつつも、出勤時刻に遅れるのが気になったアキコは、ヨーグルトとシリアルだけなんとか食べさせ、急かすように登校させてしまった。
朝の出来事が1日中気にかかり、夕飯はエリカの大好物を……と張り切って色々と作ってあげたが「おなかがまだちょっと痛いから」とほとんど口をつけず、エリカは早々に寝てしまった。明日も食欲がないようなら小児科に連れていくべきか。アキコがそう考えていると、担任の吉田先生から電話がかかってきた。
「エリカさんが、3日連続で算数の教科書を忘れたと言っています。普段は忘れ物が少ない子なので、気になります。ご家庭での様子はいかがでしょうか」
電話を切った後、そっとエリカの寝室に入った。寝ているエリカを起こさないよう、机の上を探す。算数の教科書は、引き出しの一番下に隠すようにしまわれていた。エリカは算数の勉強が嫌いではない。それなのにどうして、こんなところに教科書を隠しておいたのか。嫌な予感がした。そして冒頭の、切り裂きを発見した。
いじめを本人に問いただしていいの?
娘がいじめられているかもしれないという事実に、親としてどう対処すべきか。エリカの口数が減った1カ月前から、いじめは起こっていたのかもしれない。エリカの変化に、どうして気づいてあげられなかったんだろう。エリカはもう、母親の私を信用してくれないかもしれない。それに、話したくなかったのなら、本人には知られないように解決したほうがいいのかもしれない。
まず先に、学校に相談するべきだろうか。でも、「チクった」と言われて、エリカがますますいじめられてしまうかもしれない。それに、担任の吉田先生は新任教師で、真面目そうだが少し頼りない感じがする。
アキコは算数の教科書を握りしめたまま、ダイニングテーブルの前に立ち尽くしていた。自分がいじめられているわけでもないのに、どんどん胸が苦しくなって、涙があふれて止まらなかった。
これは、小学生の子どもを持つ共働きママの悩みを再現したショートストーリー。登場人物は架空だが、「教科書を切り裂く」といういじめは、実際に関東近郊の小学校で起こった出来事だ。わが子がいじめにあったときに、悩まない親はいないだろう。日経DUALでは、そんな「悩める親」を代表して、学校カウンセリングを専門とする前・東京都教育委員会いじめ問題対策委員会委員長で、東京聖栄大学の有村久春教授と、現役スクールカウンセラーの栗原さんに話を聞いた。