家事をいいかげんにしてもいいから、子どもと一緒に過ごす時間を優先

 日本に帰国後、投資ファンドに就職。忙しいときは熊本の母に来てもらったり、ベビーシッターにお願いしたりしながら、両立をしました。

 そもそも計2年半しか働いていないため「働くことに飽きていなかったので、働くのが楽しくて。でも、子どもが寝るまでには帰ってきて、本を読んでから寝かしつけようと決めていました。アメリカで学んだのは、子どもへの愛は“アイラブユー”を伝えること。私が家事などあくせくしている時間を子どもと一緒に過ごせないなら、そういうのを全部いいかげんにして、子どもと一緒に過ごせばいい。いい妻でいなきゃいけないという気持ちから吹っ切れ、迷いがなくなりました」

 転機が来たのは子どもが小学生2~3年生のころでした。

 「娘からは『なぜ自分は毎日学童に行かないといけないの』と言われるようになり、勉強も見てあげなければならない。仕事上も『リーダーシップがない』と言われて悔しかった。色々なことが重なり、年に1回の評価面談のときに『そんなに言うなら自分のリーダーシップがあることを信じたいから起業する』と伝えました」

いざ事業を考えたらダメ出し。その経験が起業のきっかけに

 起業しようと思ったのは34歳のとき。最後のチャンスだと思い、何のビジネスをやろうか考え始めました。

 「まずはアイデアを100個考えようと頭の体操。それから自分の働き方を振り返り、“英語×会計”“Young Japanese Working Mother”など、自分の経験をかけ算することで、人と差別化していくことができる、それくらい“経験”には価値がある。それならニーズに出会えるプラットフォームを作ろうと思いました」

 それから国内外の色々なサービスを調べたといいます。

 「当時『ランサーズ』がエンジニアやデザイナーが仕事と出会える場としてあったのですが、文系スキルを生かすところがない。最終的にはアメリカのサービスを参考に、キュレーション型のECを立ち上げよう、と思いました」

 楽しく事業計画を書いていましたが、当時の同僚から「うまくいく気がしない、何かが足りない」と言われて立ち止まりました。

 「投資ファンドでは企業のビジネスに投資する際に、コンサルティング会社や会計士、弁護士などいろいろなプロの人にお願いをして、会社を調べます。けれど、当然ながら起業するにあたりそんなお金はない。たまたま同僚が『金融業界からインターネットサービスを立ち上げた友人がいるから、話を聞きに行ったほうがいい』と言ってくれて会いに行きました」

 会いに行った人に、EC立ち上げの経験者を紹介してもらったそう。

 「つてをたどって会えるまでに2カ月間かかりましたが、会ってみたら1時間、本当に厳しくダメ出しをされて。失敗確率2000%だと言われました。話している最後のほうには、『私この1時間にお金払います、とても勉強になりました』って言って。それが『ビザスク』になりました