「普通」を望む裏側にある理由は、「謙虚さ」と「窮屈さ」

画像はイメージです(撮影/吉澤咲子)
画像はイメージです(撮影/吉澤咲子)

 すぐに思いつく理由は、謙虚さ、でしょう。もしくは「謙虚であるべきというプレッシャー」のせいかもしれません。

 日本に限らず、アメリカでも、同程度の能力の男女を比べると、女性のほうが遠慮しがちである事実は、研究データからも実証済みです。そこには女性自身の課題や、強いやる気や意欲を見せる女性を叩くジェンダー規範の問題があります。詳しく知りたい方はFacebookでCOOを務めるシェリル・サンドバーグが、著書『リーン・イン』で様々なデータや事例を紹介していますので、読んでみてください。

 「輝かなくていい、普通に働きたい」と女性達が口をそろえるもう一つの理由は、日本特有のものかもしれません。

 女性が働くことがまだ特別視される現状の窮屈さ。働き続けることに、過剰に意味づけをされることへの抵抗感です。特に子どもを持って働き続けている女性達に話を聞くと、「輝く」より「自然に」「当たり前に」「普通に」働きたい、と言う人が多いのです。

 何をもって「普通」と考えるかは、人によって違います。

 例えば、共働き家庭で育つと、男女ともに働き続けるのが当たり前と感じるようになるかもしれません。一方で、出産退職が多い職場にいると、「子どもがいて働き続けるのは無理」と思うかもしれません。いずれにしても「輝くこと」を期待されて違和感を覚える女性がとても多いのは事実です。そこには「男性と比べて」というフレーズが隠されています。

 女性が働き続けるのは「男性と比べて」まだ難しい。特に子どもを持って働き続けるのは、女性にとって「男性と比べて」容易ではない。なぜなら、多くの夫は長時間労働で家庭参加が少なく、家事育児は妻の負担が重くなりがち。だから女性は「男性と比べて」余計に頑張らないと仕事を続けられない。仕事を続ける女性も、管理職になる女性も少ないから、失敗すると「男性と比べて」目立ってしまう……。

 様々な働く母親と話をしていると、希望はこんなところに収斂していきます。男性は、やる気がある人も、あまりない人も、優秀な人も、そこそこな人も、当たり前のように仕事を続けている。だから、当たり前のように、ある程度までは昇進していく。能力を発揮することは求められるけれど、輝くことまでは、求められていない。私も、そういうふうに当たり前に働きたい……と。