そのご夫婦は、ご主人が英語圏の方、奥様が日本人というカップル。ご主人の希望もあって、インターナショナルスクールに息子さんを入れたそうだ。奥様は英語の日常会話なら問題なくされるということなのだが、スクールからの案内や手紙など長々と文章でこられると、細かいところまで見落としがないか不安になる。「大丈夫。大丈夫。全部僕がやるから」とご主人が自信満々言っていたので、スクール入校を決断したのだそうだ。
そして入校式当日。「ねぇ、本当に私服でいいの?」と不安がる奥様に、「大丈夫。行けばなんとかなる。インターなんて自由なんだから」というご主人に押し切られ、私服の息子さんを連れてスクールの玄関を入った瞬間。他の生徒さんぜ~んぶばっちり制服を着ていたそうな。
私服、ただ一人。
先生に「何やってるんですか? 初日から制服着てきてくださいって伝えましたよね。早く、このお店に行って買ってきて」と強い口調で言われてしまった奥様。「いや実はこういう事情で」とご主人の話しをしたところ、
"That's the husband."
「それが夫というものよ。」というお馴染みのフレーズの英語版に続き、「どこの国でも同じよ」と、インターナショナルな視野からお答えが返ってきたという。
いいお話だ。途端に、頭でモーツァルトが鳴り出した。
なんか、わが意を得たりというか、なんとなくもやもやしていたものが、すっきりクリアになって、清々しい気分にさえなった。似たような話ってどこにでもあったのね。夫というのは、そうしたものだった。
夫は「アバウト」ぐらいがちょうどいい?
男女の差なのかというと、そうでもない気がする。やはり、日常の子育てにおいては、妻のほうが主体的な存在として担う責任が相対的に大きいケースが多く、だから夫のほうは多少アバウトでも夫婦喧嘩にはなっても問題は生じないということなのではないか?
多少アバウトでも、と書いたが、「アバウトなほうが」実はいいのかもしれない。あんまり完璧にこなされると、子どもにとっては母も父も共になんだか窮屈だなという感じになるかもしれない。どちらかというと、守るほうに行く「母性」と、引き離して独り立ちさせる方向に行く「父性」の両方と接することが大切な気もする。
そういえば、あるとき、男の子を持つママ達何人かで、いつものように“夫とは”話をしていた。誰かから、どしゃぶりの中、乳飲み子をレインコートも着せずに自転車で連れ回されたエピソードや、師走の表参道で、路駐した車の中に3歳児一人を残して買い物に行った夫の話が披露された。その後、小学生の男の子2人を持つママから一言。
「うちもそういうの、子どもが小さいときはたくさんあったよ。その度に夫婦喧嘩もしたしね。でも、それでいいの。それで、息子も“男”になっていくの」
かっかっこいい。さすが、先輩ママ。「夫とはこうしたもの」を乗り越え、子どもの成長の糧として捉えている。母はすごいな。
「母とはこうしたもの」でないと、ならないのかもしれない。