「命の選別」という言葉の重み
「命の選別」という言葉もHさんには重い。
「命の選別……そうやろうね。私は、苦しんだけれど、羊水検査を受けた時点で、子どもの命を選別したことになるんやろうね。検査を受けたことが、すでに選別したと同じになってしまうのかと思うと、いまも、胸の奥にチクッと刺さるものがあります。
私は、子どもにリスクを負わせて、自分のために受けたのです。それを思うと、いまでも胸が苦しくなります。この子をどうするかという話をしたことも、子どもに申し訳なかった。お腹の中で聞いていたんやろうな、と思います」
Hさんは、いまも出生前診断について考え続けている。
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「出生前診断の新書を書きませんかと提案を受けたとき、この問題の繊細さゆえにとても迷いました」と著者の河合さんは言います。現状を自分の目で確かめて決めようと、数多くの関係者に話を聞いたり、関連の講演会などに足を運んだりするようになり、2013年NIPTが開始された年の終わりごろには、「出生前診断を取り巻く世界が大きく動いていることが分かった」と振り返ります。
「タブーとされて議論されてこなかったことが、ようやく語られる段階を迎えていると感じました。出生前診断を胎児治療につなげる研究や実践にうっすらと光が射してきた時期であり、書く勇気が湧いてきたのです。また、日本の女性、家族はほかの先進国に較べて出産について知らされないこと、決められないことが多すぎるので、私にはそこを変えたいという気持ちも強くありました」
河合さんは「命の選別」という言葉にはいい響きを感じないと言います。
「出生前診断というテーマは、もちろん命そのもの。でも女性達は技術を使いながら、その中で真剣に考えています。それに引き換え、今の社会では様々なところで"命"という言葉が簡単に使われすぎているのではないでしょうか。命とは自分が生きながらえるために、ほかの生き物の命をいただきながら続いてきたもの。宗教や祈りといったものは、そこに気づくことから始まっているとも言われています。
戦争や災害でも何が一番悲しいかといえば、逃げるときに家族の手を離してしまった人の苦しみだと思います。そうした、人が生きていくこと自体の重みについて思いを至らせるなら、出生前診断を安易に『命の選別』という言葉で非難することはできないはず」と河合さん。
一方、NIPTが開始されることで、出生前診断に対する抵抗感が薄れがちであることに多くの人が憂い、懸念を抱いています。「命の選別といった言葉での非難には賛同できない気持ちはありますが、祈りの気持ちのない出生前診断が当たり前な世の中になってはいけません。『出生前診断~出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』が、社会の中で出生前診断について、それぞれの対話を開くための助けになったらうれしいです」
(イメージ写真/鈴木愛子)