障がい者と関わることで人生が豊かになった
“思い返してみると、尚くんは自分の置かれている境遇を嘆くこともせず、誰かを傷つけたり恨み言を言ったりすることもなく、ただひたすら懸命に生きていた。(中略)与えられた人生を懸命に、ただ生きるということがどれほど素晴らしいことかを教えてくれた。”(『あなたは、わが子の死を願ったことがありますか? 2年3カ月を駆け抜けた重い障がいをもつ子との日々』155~156ページより)
── 尚くんが亡くなって10カ月後の2015年9月には、年齢や障がいの有無にかかわらず音楽を楽しんでもらう「バリアフリーコンサート」を開きました。
佐々 定員100人の会場を押さえたのですが、「100人集まらなかったらどうしよう」って始まる前はすごく心配していたんです。蓋を開けてみたら、100人を超す人が来てくださって、スタッフの席がなくなってしまったくらいでした。次回はもう少し広い会場で、と思っています。そして、音楽が好きな人がふらっと訪れてみたら、「あれ、障がい者の人もいるんだ」というようなコンサートになるといいなと思っています。
バリアフリーというと、階段がないとかエレベーターがあるとかそういった設備上のことをまず思い浮かべますが、「NAOのたまご」が目指すのは「心のバリアフリーの浸透した社会」です。「心のバリア」というのは、人によって全然違います。そして心のバリアは、施設のバリアと違って、なくそうと決意することで簡単に減らしていくことができます。そのためにも、私自身が、まずはバリアの存在を知るところから始めよう、と思っています。
障がい児もその親も地域の中で生活して、「誰も存在すら知らなかった」ということにならないように生活していけるといいなあ、というのが、私の願いです。だから、ささやかでも、心のバリアフリーが実現した社会につながることをしていきたいと思います。それは、誰にとっても暮らしやすい社会ということになると思います。
── 障がいのある人もない人も当たり前のように隣り合って一つの音楽に耳を傾けるような、ということですね。
佐々 そうですね。障がい者の人がかわいそうだから何かしてあげたい、という発想ではありません。というのも、障がいのある人と関わることはそのまま、生きることとか命そのものと向き合うことになるんです。ものすごい学びのきっかけになります。関わらずにいることのほうがもったいないんじゃないかと思うくらい。「障がいのあるこの人の生き方を知ることが私の人生をこんなにも豊かにしてくれる」という学びのほうが、自分がその人にしてあげられることよりもずっと大きい。そう、尚くんとの日々を過ごした今、心から思います。
(文/山田美紀)