子どもの介護に人生すべてを捧げていいのだろうか

 “普通、想像することができるだろうか。子どもの死を願うことがあるなんて。私は、一度も想像したことがなかった。でも今は、いつも、ふとした折に、子どもの死を考えてしまう。自分にも死の誘惑が訪れる。きっとこれは障がい児を抱えた母親に共通する思いなのではないかと思う。でもそれでも、まだ私は生きているし、尚くんも一生懸命生きている。それは、こんな私だけれど、今の私を色々な形で支えてきてくれたもの、支えているものがあるからだった。”(『あなたは、わが子の死を願ったことがありますか?』115ページより)

── 支えになったのは社会的な制度だったのでしょうか。

佐々 乳幼児期というのは社会的なサポート制度はほとんどなくて、一番助けられたのはやはり同じように重い障がいのある子を育てているお母さんが言ってくれる何気ないひとことや励ましの言葉でした。私自身も素直に聞けるんですよね、なぜか。だから、まずは誰か一人でも、話を聞いてくれて、「あ、分かるわ」と言ってくれて、「ああ本当に分かってくれたな」と自分も思える人を見つけられることが実はすごく大事かなと思っています。

 私の場合は、高校時代の友人を通じて出会うことができました。一人そういう人が見つかると、そこからだんだん広がっていくんです。

1歳7カ月のとき。大好きな温泉へいつもみんなで出かけた
1歳7カ月のとき。大好きな温泉へいつもみんなで出かけた

── 今、佐々さんが代表をしている「NAOのたまご」の活動は、まさにその最初の一人を見つけるためのものなのでしょうか。

佐々 そうですね。今は少しずつ人を集めつつ、同時進行で活動しています。会員にも色々な方がいます。精力的に活動している会員もいれば、まさに障がいのある子育て真っ最中で身動きが取れないけど会員になった方もいます。そういう方には、「同じ障がいを持っている子を持つお母さんの話し相手になって」と頼んでいます。話し相手、といっても実際に会うのはお互い難しいわけですが、今はメールや電話、フェイスブックもあるのでお互いに自分の時間が取れるときに、やり取りができます。

── 一日に何度も薬を飲ませて、少しでも楽になるように四六時中抱っこして、と本当に子どもにすべての時間を捧げることになりますものね。

佐々 そうですね。自分の親の介護っていつかは終わりが来るんでしょうけど、子どもの介護の何がつらいって、おそらく自分が生きている間じゅうそれが続くことなんですよね。終わりが見えない絶望感があります。「障害児産んだら人生終わったから、日本死ねっつーか死にたい」という匿名ブログが話題になったことがありますが、その気持ちは分からなくもないです。

 その一方で、子どもの介護だけが生きがいになってしまう、それを生きがいにしないと生きられない親達が出てきてしまうことに対しても、疑問があります、それでいいのかなあと。その人の人生は、子どもにすべてを捧げるだけのものではないはずなのに、子どもの介護以外に親が人生の生きがいを見いだせないように、社会が仕向けているような気がするんです

 重度の障がいのあるお子さんを持つお母さんのなかには、世話を他の人には一切タッチさせず、「私が見なきゃダメなんです」と言う人もいます。でもそうすると、本当に困るのって、子どもなんですよね。そのお母さんがいなくなったときに、まったく慣れていない人が介護するしかなくなるのですから。

 恐らく、最初は誰でも助けを求めていたんだと思うんです。特別な訓練を受けていなければ、自分一人で介護をすべてするのは怖いことのほうが多い。でもいくら助けを求めてもどこからも手を差し伸べられないから、自分でやるしかない。そう思って必死でやっているうちにそれが生きがいになってしまう……。なるべく早いうちから「お母さんの時間も大事にしてくださいね」っていう環境を整えないと、お母さんも不幸だし子どもも不幸になってしまうと思うんです。

── 下編へ続きます。

佐々百合子 (ささ ゆりこ)


製薬会社勤務のかたわら、2010年3月に第1子出産。2012年8月に第2子の尚武くんを出産。2014年4月に第3子出産。2014年11月に尚武くんが亡くなったことから、重症心身障害児を育てている家族支援の具体化や障がい児・者への理解を推進するための任意団体「NAOのたまご」を設立。心のバリアフリーを進め、健常者と障がい者が共生して暮らしていける社会の実現を目指したいと考えている。2016年4月に『あなたは、わが子の死を願ったことがありますか? 2年3カ月を駆け抜けた重い障がいをもつ子との日々』(現代書館)を上梓。