海外ツアーで家を空けるときは、はがきや電話でコミュニケーション

―― 1カ月以上、お子さんに会えなかったこともあったのですね。お子さんはもちろん、野宮さんも寂しくはありませんでしたか?

野宮 さすがに1カ月以上離れ離れだと、寂しくなるときも。そんなときは旅先からはがきを書いて送ったり、国際電話をしたり。久しぶりに家に帰って顔を合わせると「きょとん」とされてしまうこともありました。

 息子が4歳になったあたりから、他のスタッフの迷惑にならない範囲でレコーディングや撮影現場に息子を連れて行くように。楽屋で勉強したり、リハーサル中に振り付けの先生に遊んでもらったりと、息子もそれなりに楽しんでいたんじゃないかな。

 今でもライブがあるときは、息子は必ず見に来てくれます。ライブ後、スタッフとの打ち上げに出るために、私がどうしても家族の食事会に参加できないときには、息子が代わりに会を盛り上げてくれます。

―― ご子息は、現在、医学部に通っていらして、とても優秀だとお聞きしました。中学受験を意識された後は、ママとしての大変さは増したのではないでしょうか? そもそもお受験を意識し始めたのはいつからだったのか、どんな英才教育を施されたのか、興味が尽きません!

野宮 今考えれば「もう少し早く塾に行かせてあげていればよかったな」とも思うのですが、塾通いを検討し始めたのは中学受験が視野に入った段階から。そのときピチカート・ファイヴは既に解散していたので私も以前ほど忙しくはなく、子どもと接する時間をたくさん持てるようになっていて。当時、関西から進出してきたばかりの進学塾に通わせました。

 周りで受験する友達も少なく、最初のうちは塾でも友達ができなくて一人なじめず、本人はつらかったみたいです。そういえば「塾に行きたくない」と家出をされたこともありました(笑)。心配して探したらマンションの踊り場に逃げ込んでいただけでしたが……。

 そんなときは無理せず休ませることもありましたが、なだめておだてて行かせることも。ただ、どちらかといえば、私より主人のほうが教育熱心でしたね。仕事でどんなに遅くに帰宅しても、翌日の勉強のスケジュールを立ててくれました。その協力のおかげです。夫の本業は音楽プロデューサーですが、息子の教育に関しても主人は“名プロデューサー”ですね。