初出場のレスリング大会で虎が見せた顔に、50オヤジは息を呑んだ
ほとんどサッカー、一時期ちょびっとバスケット。あとは草野球……というスポーツ遍歴のわたしには、個人競技、格闘技をやった経験がまったくない。スペインに留学していたころ、「ああ、なんで俺は格闘技をやっておかなかったんだろう」とスペイン語の勉強をしておかなかったのと同じぐらい後悔したので、いぶかしがるヨメをそっちのけでレスリング教室に通わせてきた。
ただ、そんな思いが3歳児に通じるはずもなく、教室での虎にはそもそも格闘技、勝負という概念自体を理解している様子がまったくなかった。ウルトラマンがやっているような側転をできるようになること。それだけが教室に通う動機だったように見えた。
だから驚いた。
人生最初の試合が何と不戦勝に終わったのには笑ったが、続く第二戦、虎の相手はお父さんがコーチを務めるイラン人の女の子だった。身長は虎より10センチほど高く、何より、格好からして一味違っている。こちらはダブダブの高田道場Tシャツ、向こうはちゃんとしたシングレット(レスリングのユニフォーム)である。
オリンピックで伊調さんや吉田さんがやったのと同様、中央で握手をかわしてから試合スタート。案の定、あっさりタックルを食らってひっくり返される。ここまでは練習のときとまったく同じ。
ところが、違ったのはここからだった。セコンドについている元女子プロレスラー“バンザイ・チエ”ことチエ先生から「とら、そこで頑張れ、おへそを見せるな!」と指示が飛ぶと、そうはさせじとフォールに入ろうとする女の子に抗い始めたのである。苦笑いしながらカメラで様子を追っていたわたしだが、顔にズームを合わせた瞬間、思わず息を呑んだ。
初めて見る息子の「必死」の表情がそこにあった。
虎が歯を食いしばっていた。顔を真っ赤にして、チエ先生の指示に応えようとしていた。教室では、タックルで倒されてもニコニコしているばかりだったくせに、体をジタバタさせてフォールを免れようとしていた。
子どもってすげえなあ。
残念ながら抵抗実らず、虎の実戦初戦は完敗に終わった。格闘技メディア風にタイトルをつけるなら「虎、無残な瞬殺」である。だが、レスリングのなんたるか、どころか勝ち負けのなんたるかも分かっていなかった姿を見てきた者からすれば、「奇跡の大変貌」とでもいいたくなってしまう。
もっとも、試合終了が告げられるや否や、虎はいつもの虎に戻った。ご褒美、というか参加者全員に配られるメダルを首からぶら下げると、あとはきゃあきゃあ騒ぐばかりである。それどころか、いま、負けたばっかりの対戦相手と仲良く笑顔で記念撮影する始末。必死の形相を見せていたのはここでヘラヘラしている小僧と同一人物だったのか、親としても疑念を覚えてしまうほどだった。
でも、まいっか。
虎が幼稚園に入ったおかげで、こちらは久方ぶりの夏休み感を満喫することができた。というか、これほどたくさんの思い出が残った夏休みって、いままでの人生であっただろうかって真剣に悩んでしまうぐらい。
9月に入り、再び幼稚園が始まった。いまは、夏休みからもっとも遠い季節だが、だからこそ、来年の夏休みまで考える時間は山ほどある。
来年は海か? じゃ、裸になっても恥ずかしくない体を作っておくか? そんなことを真剣に考え始めた50のオヤジである。