5年前に突然訪れた、パパと小学生の娘との二人暮らし。周りに同じ境遇の人は一人もいない中、“父ひとり、娘ひとり”の生活が始まります。シングルファーザーになって初めて実感した、料理をはじめとした家事の大変さや「一般的な幸せ像」への違和感。戸惑いながらも、父娘の愛で一つ一つゆっくりと乗り越えていきます。前回記事「離別の父 街にあふれる理想の家族像が心に刺さった」に引き続き、今回は、学校行事への参加を機に変化した人間関係や、病時に身に染みた地域の優しさを振り返ります。

学校との情報共有は一枚の紙だけ 伝達漏れは数知れず

 シングルファーザーになった当初、思いのほか困ったのが、学校からの連絡事項の把握だ。

 「ママ友」のグループに入れないと、学校行事に関する情報は学校からの書面の案内のみにほぼ限定される。従って、もし子どもが「お手紙」を見せるのを忘れたら、知らないまま。アウトである。

 お弁当が必要なのに持たせなかったり、早帰りの日なのに家に鍵を掛けて出掛けてしまったり……。「そうか、自分以外の人間のスケジュールを把握するのは、こんなにも大変なのか」と思うほどに、過去色々とやらかしてきた。

 また学校からのお手紙というのは、毎年毎年テンプレートから日付だけ直して配られるものが多いため、読むだけでは全体像が把握できず、細かい情報は漏れていることも多い。ちょっとした疑問を感じたとき、身近な同級生ママや上の学年にきょうだいがいたりするご近所ママに気軽に聞ける環境があれば、情報を補完し、事前に準備することもできるだろう。

 しかし5年前、シングルファーザー1年生にはそういう情報網がなかった。僕に限らず、転居したばかりの家庭や行事にまめに参加することができない働くママも、ご近所ネットワークから孤立してしまうことがあるかもしれない。引き渡し訓練のときは迎えに行く時間が分からず、ずいぶん早く学校へ行ってしまい、30分も1人で待ちぼうけだったこともある。

 学校へ行っても担任の先生以外は知らない人ばかりで、自分の居場所がない。一つ一つは小さなことでも、日常で少しずつ、ボタンを掛け違うように情報から取り残されていく。

“ちょっとしたこと”を気軽に聞けるネットワークがなく、学校関連の予定を把握するのに苦労した
“ちょっとしたこと”を気軽に聞けるネットワークがなく、学校関連の予定を把握するのに苦労した