ブーニンが演奏するショパンに手足を動かして喜んだ

辻井 泣き虫で、ちょっとしたことですぐ泣き、大騒ぎする子でしたね。例えば、靴がうまく履けないことが悔しくていらだったりとか。負けず嫌いなんです。でもそれが年じゅうですから、「もういい加減にして、この人」って思っていました(笑)。小学校は筑波大附属の盲学校に通いましたが、その前の段階に幼稚部があって、他のお子さんは日常の訓練のようなことをしてから小学部に入ってきていました。でも私達は当時、埼玉に住んでいたので、その幼稚部に通わせられず、周りのみんなができることが伸行はできなかったし、何とかできても遅かったんです。

 そして、できないといちいち30分くらいかけて泣くものですから、学校で「ビービー伸行」っていうあだ名がついてしまったほどです。登下校のときも大変でしたよ。迎えに行くと「あー、また泣いてる」って。

 でも私は、それは時期が来れば治るんじゃないのかなと思っていました。私の母も、手伝いに来てくれたとき、「本人だって泣きたくて泣いているわけじゃないし、気持ちの持って行き場がなくて、ああやって発散しているのだから、それをあんまり怒ったり止めたりしなくていいんじゃないの」と言ってくれ、確かにそういうものかなと思いました。

 ただ不思議なことに、ピアノに関しては泣いたりすることは一切ありませんでした。「練習しなさい」と私が言わなくても喜々として弾いていたし、できなかったところは根気よく何度も何度も反復して「できるようになったよ、聴いて聴いて!」と。「おー、すごい! できるねえ」って褒めると、うれしそうにしていました。

―― 子どもの「好き」に親がちゃんと気づいてあげて、応援していくことって大事ですよね。伸行さんの場合は、「好き」がピアノを弾くことだったのですね。

辻井 伸行は色んな遊びをこちらから投げかけても、興味を示すものが割と少なかったんです。その中で音楽のCDを聴くのだけは大好きで、『今日の風、なに色? CDブック』の中でも書いたように、ショパンの『英雄ポロネーズ』、それもピアニストのブーニンが演奏するものにだけ手足を動かして喜ぶ様子を見せました。まだハイハイもできない生後8カ月のときのことです。特にそのころはママになったばかりで子育ても不安ばかりでしたが、伸行がうれしそうにするものが見つかり、かすかな希望を感じました。2歳くらいになると、おもちゃのピアノに食いついて、私が歌う曲に合わせて演奏し遊んでいました。そんなに好きなら、いつも楽しくやれればいいね、と思ったのが始まりで、もちろんピアニストとして育てたかったわけではなく、本人が喜ぶ姿を見ているだけでとても幸せでした。

―― 親の過度な期待というプレッシャーがなかったことが、伸行さんがのびのびとピアノを学んでいけた理由だったのでしょうか。

辻井 そうかもしれませんね。私とは正反対の方向でピアノを習わせているお母さん方も見てきました。例えば、お母さんがピアノの先生だったり、昔ピアノをやっていて、ピアニストになる夢を子どもに託していたり。「いいわねえ、伸行君はピアニストになれて」と言った方のお子さんはピアノをやめて違う道に進んだのですが、私から見ればその子が進んだ道もすごくいいじゃないかと思えました。でも、子どもがピアノをやめてしまったことを悲しんだり、子どもをあまり認める気になれなくなったりするお母さんは多いのではと思います。