日経DUAL創刊時から、連載「ママ世代公募校長奮闘記」を執筆してきた大阪市立敷津小学校・元校長の山口照美さん。この4月からは、元民間人校長として公教育に関わる山口さん。そんな山口さんの言葉をストレートに伝える新連載の2回目です! 

* 本連載の最後のページには、大人ではなく“お子さんに向けた”山口さんからのメッセージがあります。ぜひパパやママが声に出して読んであげてください。

私は、小学校高学年から中学校時代、いじめられていた

 自殺したい、と思ったことはあるだろうか。私は、ある。何度も。

 小学校高学年から中学校時代、いじめられていた。顔にほくろが多い。最初は、そんな理由で「ほくろ」とあだ名がついた。最初は、軽い「いじり」だったんだろう。小学校の現場を経て、あのころのクラスの空気を理解できる。担任のアンテナが鈍いと、「いじり」は「いじめ」に発展する。私の担任はもっとひどかった。スクールカースト(クラス内の力関係)を学級経営に利用する教師が、かつてはいた。クラスのやんちゃ男子のギャグに乗っかって、教室を湧かせればいい。リーダー達に「おもしろい先生」として、好かれる方法の一つだ。

 「おーい、ほくろ! ノート運ぶの手伝って」

 ……その日から、「いじり」は担任のお墨付きを得て「いじめ」に変わった。

 「黒くなるから机に触るな」と掃除の時間に男子に蹴られ、座席表は黒く塗りつぶされた。たまたま、中学校に入るときに校区を変わった。しかし、いじめの傷は環境が変わってもうずき続けた。自分に自信が持てない。周りのひそひそ話が怖い。やっとできた友達には、過剰にもたれかかって避けられた。

 当時、ネットやSNSがなくて本当に良かったと思っている。

 家にまでギリギリの人間関係を引きずって帰るなんて、たまらない。メッセージの行間を読み、返事がないことを勘ぐり、悩ましい時間が増えるだけだ。現代の子どもが置かれている環境を、想像するだけで胸が痛くなる。

 家だって私の居場所ではなかった。

 家族で食事をしていて、妹が食卓を先に立とうとすると父が「もうちょっと座っとけ」と引き留める。私が立っても、何の声も掛からない。継母とは、もっと心の距離があった。

 「死にたい」と思って、マンションの屋上に行く。

 カッターナイフを手にしたこともあった。

 死んだら、大騒ぎになるだろうな。
 私を無視したヤツ、仲間に入れなかったヤツ、後悔するかな。
 いい人ぶってるあいつの外面を、ぶち壊してやる。
 ざまぁみろ。

 今、こんな気持ちでいる子どもに、どんな言葉をかけるべきか。

 10年前に、書いた文章が手元に残っている。小学校の校長になるとは夢にも思ってなかったころに、書いたものだ。だから、言葉は少し過激かもしれないが、次ページに紹介してみたい。