厳しく根気強い励ましで、何度も何度も書き直した

P114~115(絵本リスト)/中川さんの全作品がカラーで収録
P114~115(絵本リスト)/中川さんの全作品がカラーで収録

 できあがったお話を同人たちに読んでもらうと、「面白いけれど、これは作品ではなく生活記録ね」と言われました。作品と生活記録の違いがわからない私は、みんなの厳しくも親切丁寧、根気強い励ましを受け、ひたすら何度も書き直しました。

 書き直しを重ねるのは、今も変わりません。本当にコツコツ、書いては消し、書いては削りの繰り返し。途中でいやになるのは、見込みのない作品です。推敲すればするほどよくなっていくのがわかると、ほっとします。

 そうやって完成したのが、『いやいやえん』です。『いやいやえん』が掲載された同人誌『いたどり』は、1959年7月に刊行されました。

『いやいやえん』が掲載された『いたどり』を、いぬいさんがお知り合いの作家や編集者に手渡ししてくださいました。その中のお一人が、岩波少年文庫の創刊に関わった石井桃子さん。いぬいさんの上司でもありました。

 1962年12月、『いやいやえん』は石井桃子さんに編集していただいて、福音館書店から創作童話シリーズの1冊として発売されます。

 私は結婚して、息子は2歳になっていました。家庭と保育園を両立しながら、原稿も書く生活が始まりました。福音館書店の月刊誌『母の友』をホームグラウンドに、200字の原稿用紙14枚の童話を、無理しない範囲で書くというやり方です。

これは石井桃子さんから「原稿の依頼は断らないと、あなたがダメになります」と教えていただいたから。「出版界は魑魅魍魎(ちみもうりょう)です。気をつけなさい」というのが、編集者、翻訳家、作家としてたくさんの優れた子どもの本を世に出した彼女の助言でした。

 子どもの本の書き方を細部にわたって教えてくださったのも石井さんです。『いやいやえん』を出版するとき、原稿を持ってうかがうと、手に鉛筆を持って待ち構えていました。いつも作品をさらによくしたいと張り切っていらした。

 妹の百合子は、そばではらはらしながら私たちのやりとりを見ていて「よく泣かずに耐えていた」なんて言っていましたが、私は全然平気でした。