子どもの頃から本は大好きでしたが、作家になりたいと思ったことはなかったという中川李枝子さん。その中川さんが、どのようにして累計発行3000万部ものベストセラーとなる絵本・児童文学を作るようになったのでしょうか。20代のころに新聞記事で出会った「童話同人誌」を訪ねたのがきっかけで、作家への道がスタートします。

名作絵本約100作品を生み出した児童文学作家・中川李枝子さん。「最新刊『ママ、もっと自信をもって』が、お父さんお母さん、保育士、先生たちのお役に立てたら」と語る。
名作絵本約100作品を生み出した児童文学作家・中川李枝子さん。「最新刊『ママ、もっと自信をもって』が、お父さんお母さん、保育士、先生たちのお役に立てたら」と語る。

 グループにはたくさんの女性がいましたが、私はただ、いぬいさん(注/当時の岩波少年文庫の編集者・いぬいとみこさん)にくっついていました。いぬいさんに会いたくて参加していたのですから。

 まもなく、いぬいさんはグループを離れて『いたどり』という同人誌を作ります。メンバーは、婦人民主新聞の記者をしていた鈴木さん、児童の演劇教育に関わる小池さん、家庭の主婦である小笹さん。そしていぬいさんと私の5人です。

男性から“ヒゲのある女たち”なんて呼ばれましたけど、聞き流しました

 私のほかはみんな30代。学徒動員で学校に満足に行かれなかった世代です。社会批判や、女性解放やサルトルとボーヴォワールの話などでかなり燃えていました。まわりの男性連中から〝ヒゲのある女たち〟なんて呼ばれましたけれど、褒め言葉ぐらいに思って聞き流していました。集まれば議論百出、活気がありました。

 ただ、おしゃべりは盛り上がるのですが、みんな仕事を抱えて多忙だから同人誌に載せる作品が集まりません。そこで1人がまるごと1冊分の原稿を書くことに決めました。そして私にも順番が回ってきました。

 みどり保育園に勤めたばかりのころでした。みんなに「子どもたちに聞かせる話を書けば」と勧められて「ちゅーりっぷ保育園」での日々を書き綴ったのです。