―― お子さんには、仕事をしている姿を見せたりもしているのですか。

白木 娘はキラキラとしたジュエリーが大好きで、よく絵に描いたりしていますが、私自身は子どもの前では仕事をしないように心がけているんです。子どもといるときは、子どもと一緒に何かすることに専念しようと思って。起業してからは、自分のために絵を描くとか自分のために何かをすることがあまりなかったんですけど、子どもが生まれてからは、一緒に絵を描いたり、小さいころに私がやっていた遊びを一緒にやったりしています。

自宅では極力仕事はせず、子どもとしっかり向き合いたいという白木さん。一緒に絵を描いたり、小さいころに母親としていた遊びを一緒にしたりしている
自宅では極力仕事はせず、子どもとしっかり向き合いたいという白木さん。一緒に絵を描いたり、小さいころに母親としていた遊びを一緒にしたりしている

母の求める水準に応えようとしていた子ども時代

―― 自分がかつて楽しんでいた遊びを子どもと一緒にしていると、懐かしさを感じることはありませんか。

白木 ありますね、すごくあります。母によく東京に来てもらって娘の面倒をみてもらっています。そうすると、もちろんいい面もあれば、すごくイヤだなと思うこともあるんです。小さいころの私によく言っていたことと同じことを娘に言っていたりするんですよ。たとえば、他の保育園児と比較して、「○○ちゃんはもうひらがな書けるんだよ」とか。「このくらいできないと恥ずかしいよね」みたいなことを言うので、大げんかしたこともあります。それが私を苦しめたのよ!って(笑)。

―― 求められる水準が高いと子ども心に感じていたのですか。

白木 そう、求められるものが高かったですね。とにかく、「恥をかかないで」とすごく言われた気がします。「ママに恥をかかせないで」とか、「あなた自身も恥ずかしいからやめなさい」とか。

 勉強もそうです。一人っ子だったのできょうだいと比べられる代わりに、よその子どもと比べられていました。子ども心にやはり期待に応えたいとは思うので、その承認欲求に苦しんだ時期もありましたね。中学、高校のころは、何のために勉強していたんだろうと思うと、母のためにしていたような気がします。

強い思いでかなえた夢を手放せる強さに感服

―― その一方で、大人になってみて、お母さんってすごいなと思うのはどんなところですか。

地方から上京して、服飾デザイナーとなった白木さんの母。「自分の夢をかなえて、自立して働いていた姿に、すごく私自身も励まされました」と白木さん
地方から上京して、服飾デザイナーとなった白木さんの母。「自分の夢をかなえて、自立して働いていた姿に、すごく私自身も励まされました」と白木さん

白木 すごく強い人だったと思います。鹿児島の田舎からひとりきりで出てきて、東京でファッションデザイナーになるという自分の夢をかなえて、自立して働いていたわけですから。そういう姿に、すごく私自身も励まされました。地方に住んでいた母だって自分の力で東京で働いて、一人のデザイナーとして食べていっていたんだと思うと、やっぱりすごく力をもらいました。

 そして、そんなふうに強い思いでかなえた夢があったのに、結婚でそれを諦めて、夫の実家の手伝いをする、というその決断も、もちろんそういう時代だったという背景があるにしても、やはりすごいなと思います。自分の好きな人のために、自分の夢を捨てて、腹をくくって家に入る、というのは。そういう、決断する強さはあるのかなと思います。

 母自身も色んなことをガマンしてきたと思っています。母はそれがすごく幸せだったと言っているんですけれど、やりたいことも色々あったんだろうなと私は思っていて、そこをガマンしながら私を育ててくれたことに感謝していますし、尊敬もしています。