事故を起こした保育士にも、立ち直る権利がある

栗並夫妻は誰かを責めるためにこうした活動を続けてきたわけではありませんでした。「子どもを失った悲しみを憎しみに変えても、何も得られない」とえみさんは言います。

栗並 活動中、何度も「責任の所在を明らかにしたいのですか?」と聞かれることがありました。でもそれは違います。「検証の目的は責任追及ではなく、責務(誰が何をすべきだったのか)を明らかにすること」だと私達夫婦ははっきり答えてきました。第三者委員会に対しては、自分達だけでなく園側の意見陳述機会も設けてほしいと要望しました。中立 な立場にいる第三者に、それぞれの言い分を聞いてもらって、判断してもらうことが大事だと思っています。もちろん何度も怒りたくなるときがありました。でも、感情的になったり攻撃的になったりすることで事態がいい方向に向かうことはない、と信じていました。

 事故が起きたとき、隣で見守りをしていたとされていた担任の保育士さんが、周囲の保育士達への聞き取りから、実は席を外していたことが後になって分かった。聞き取りをする中で、担任の保育士さんは泣きじゃくりながら言ったんです。「自分のしたことだから自分が覚えていなきゃいけないし、自分自身がお母さんにも話さなければいけないけれど、どうしても思い出せないんです。でも、私が席を立ったのを、何人もの先生達が見たと言っているから、きっとそうなんだろうと思います」と。

 私は彼女を責める気持ちにはなれませんでした。事故を起こしてしまった保育士だって、この先、ずっと暗い人生を送らなければいけないわけではない。起きてしまったことに向き合って立ち直る必要がある。その人にも人権があるのですから。

事故後のガイドラインには、えみさんの提案により「遺族だけでなく園の利用者や保育士などすべての関係者が、必要とする場合に心のケアが受けられるように」という内容が盛り込まれました。

 

栗並 私は夫を始め家族に支えられてやってこられました。でも中には、親戚の中で孤立してしまう人もいらっしゃるでしょうし、PTSDに苦しむ人もいるでしょう。そんなときはちゃんと専門家によるケアを受けたほうがいいと思うのです。遺族はもちろんですが、同じ園に通う他のお子さんの保護者の方も動揺しますし、園側の人にも心のケアが必要な場合もあります。

子どもを亡くしても、私は私が望む人生を生きたい

「私は長男を失ったけれど、『この先も自分が望む人生を生きていきたい』と思ってやってきましたし、今もそうあろうとしています」とえみさんは言います。2010年末に長男を亡くして以来、えみさんの生活はがらりと変わったそうです。それでも、年明けには職場に復帰し、社会人としての生活を続けてきました。そして、新たに二人のお子さんに恵まれ、仕事を続けながら子育てを続けています。「もしわが子を事故で失ってしまったら、こんなにも冷静でいられるだろうか」――。栗並夫妻の姿勢や取り組みに対して、ただ頭が下がる思いです。

 

栗並 こういう事故が起きると、得てして母親が責められるものなのです。「なぜそんな園に預けたんだ」とか、「そもそも母親が面倒をみるべきだ」とか。でも、私を責めるようなことを夫をはじめ私の家族は一切言いませんでした。いつも同じ考えで、同じ目標に向かってもらえることが大きな支えになりました。

 息子を亡くした後、「自分も寛也の後を追いたい」という考えが一度も頭をよぎらなかったといえば嘘になります。悔しく、怒りの感情が湧いてどうしようもなくなってしまったことも何度もあります。でも、息子の死の原因を解明するまで死ぬことなんてできない、と思いました。

 大正生まれの私の祖母が、事故から数カ月経つのに目立った進捗がなかったころ、「こんなことはおかしいとビラを撒いてやりたいくらいだ」と悔しそうに言っていたことがあります。その気持ちはすごくよく分かりました。でも、言ったんです。「ちゃんと行政が関与して検証が行われたら、保育に問題があったことは証明されるよ。だからそれまでがまんしよう」って。その判断は正しかったと今も思っています。

並々ならぬ努力を重ねて、行政をも動かし、事故防止のための対策を形にしてきた栗並夫妻。その活動は、そして社会人としての生活はこれからも続きます。

栗並 もし、子どもを失うという経験をしたら、誰だって冷静でいられないと思うのです。子どもがいなくなって、生きる意味を見失う気持ちは私にも痛いほど分かります。でも、私は私の残された人生を生きなくてはいけない。そのために、社会人としても働き続け、周囲の信頼を失わない人間であり続けたい。そんな思いがずっとありました。事故以降、色々な場面で記者さんから取材を受けたり、公の場に出ることもありましたが、そのときに心がけていたのは、決して声を荒らげたり取り乱したりしないことでした。

 事故があってからも私達家族は、以前と同じ地元で地域の一員として暮らしています。2人の子ども達が大きくなったら、事故のことを知るでしょうし、もしかして私達夫婦の活動を誤解した方から悪口を言われることもあるかもしれません。でも私自身は間違ったことはしていない。保育園に対しても行政に対しても、真摯に行動したと胸を張って伝えられると思います。

 私が大事にしているのは、どんなにつらい状況にあってもよく眠って、ちゃんと食べて、ときには笑って、たまには美味しいものも食べて、元気でいること。元気でなかったら、チャンスをとらえることも、そのときに行動を起こすことも、それからチャンスに備えてコツコツと準備しておくこともできません。そうやって生きることが、息子の死というマイナスの出来事を、できる限りプラスの方向に近づけていくことでもあると思っています。

この記事の関連URL
・ 内閣府子ども・子育て本部 「『教育・保育施設等における事故報告集計』の公表及び事故防止対策について」
http://www8.cao.go.jp/shoushi/shinseido/outline/pdf/jiko_taisaku.pdf

・ DUAL記事 「保育園で『おかしい』と思ったら… 萎縮せず質問を」

(取材・文/玉居子泰子)